浦木清十郎 執筆記事

「熊野林業」第1号より 『熊野の森林と林業』 熊野林業研究所会長 浦木清十郎

 日本は国土面積の約70%が山岳と森林であり、そのうち30%が国有林であり、その他が民有林等となって居る。世界でもたぐい稀な森林国であり、又健全で優れた林業が営まれて居る国である。

 その森林の中で半分以上が木材生産林としての林業が営まれて居り、 日本の木材需要のうち3分の1がまかなわれて居る。

 昭和20年、終戦の時は全ての物資が不足し、木材は日本に残された最も有用な資源であり、建築材、家具材、紙パルプや燃料材の為のかけがえのない大きな資源であった。燃料は現在、石油その他にかわり、建築や家具等も代替品が多く出来て、木材の需要は他に転化されたが、経済の発展により全木材の需要量は増え、特に紙パルプ等の木材資源の消費が多くなってきたことで、現在では約70%が輸入材によってまかなわれて居る。

 その様な状況下で我が国の木材生産や木材価格は、他の物価に比べて相対的に低くなり、林業並びに木材事業は他の産業に比べて、低い水準に取り残されて居るのが現状である。従って林業は、日本の山林の30%を占める国有林(一部の営林局を除いて)でも赤字経営であり、民有林も又苦しい経営が続けられて居る。

 日本の森林は保安林や環境保全林(自然保護林)等、木材生産目的以外の山林が約半分を占めるが、他の半分の生産林業を行って居る森林は、赤字経営が多くを占めるが、成長量や蓄積の上では戦後50年の間に増加して居り、資源としては蓄積が増して居る方向にあると林業白書は報じて居る。

 しかし戦後木材資源の不足時代には、大部分皆伐方式で伐採され、その跡地に杉、桧、松、カラマツ等の用材を主とした樹種が一斉に造林され、令級のそろった、又樹種の限定され山林に置き換えられた結果、多くの天然樹種は減少してきた。すなわち蓄積や成長量が増加して居るものの、未成熟のため低質で価値は低い。森林としての高質、価値の高い材を生産する基盤や保安的(水源涵養や空気浄化)要素や、家具その他多様な用途の樹種や森林は減少して居り、低質な木材生産は増加して居るものの、森林としての価値は減少して居る。価格と価値は必ずしも一致するものではなく、水や空気は価格はゼロに近いが価値は大きい様に、 森林も価格は低くても価値は高い。

 即ち天然林が失われ、人工林、特に単純一斉林が増えて居るが、その為森林としての基盤は低下しつつあり、生産する材は低質になり水源かんよう、空気浄化等の保安的要素が失われると共に、一斉の皆伐は一度に金員収入が得られ、経費(伐木、造伐、運搬費)も安いようであるが、その後の造林再生産には多くの経費がかかり、又次の収穫迄には長年にわたり、生産材は低質である。又育林期間中の経費と金利の累積は非常に大きいのである。

 特に、造林費、集運材費、人件費等が木材価格に比べて遥かに高騰している現状では、植樹、造林再生産の事をトータルにみると、皆伐林業は赤字経営にならざるを得ないのである。

 それでは、林業は今後赤字体質、赤字経営とならざるを得ない産業なのであろうか。

 国有林のごく一部や民有林の中でも赤字でない林業が行われて居るところがあり、林業は必ずしも赤字経営ばかりではない。

 林業は一斉に造林し、遠い将来に収穫する農業的手法で収支を計算すると、前述の様に赤字になるのは必然であり、又遠い将来の経済や社会の変容を予想計算する事は不可能である。

 従って、植林して将来その成木を予測するよりも、森林がありその基盤を残しながら、抜き切り(択伐)する方法で、経費に見合うものを伐採し収穫するのである。この方法ではその伐採の収支が赤字にならないばかりでなく、森林の基盤が失われることなく、継続的に収穫が得られ、造林費は極端に少なくなるのである。

 即ち、森林を森林基盤(森林構成の中で基盤となる部分)と、収穫が許される果実の部分に分ける。この果実は、果樹(みかん、柿、リンゴ) の様に果樹と果実に判然と区別出来ないが、森林が欝閉され、林内照度が少なくなり、適度の疎開が必要とされる時機が伐採を必要とする果実が出来て居ると考えるのである。そして森林全体の中で、どれを収穫すべきであるかを見分け、果実の部分である立木や、その他の林産物を収穫するのである。それは森林全体の一定期間(伐採から伐採迄の期間) の中でその果実にあたる部分を抜き切った後、再び欝閉される迄の間の成長量を計算し、伐採(果実)はその森林(林分)の成長量のトータルの範囲内にとどめるべきである。森林が成熟するのは何時であるかの判定は限定的なものではないが、壮令木や中令木、幼令木等混在する中で、 高令級のものが交わり、欝閉した森林が成熟に近づいたと見なして良い。しかしあまり森林の成熟を考慮しなくとも良く、未成熟の森林でも欝閉や照度の程度によって果実として伐採収穫が行われるのである。

 経済的には、その木材の価格や需要等を考え、今すぐ収穫すべきか、残して成長を待つべきか、又枝打ちや又疎開する事によって将来形質の向上や成長を計る等の考慮をして伐採すべきものを判断する。その場合伐採される木材の価格と経費がトータルで赤字にならない範囲で伐採、収穫を行うものである(赤字になるものは間伐、除伐と考えられるものもある)。

 以上の様に森林(林分)の中で三つの要素が総合的に考慮されて果実となるべきものを判断し、伐採がなされるべきである。伐採又は伐期はこの様な考え方に基づくので、皆伐一斉造林の様に一定年令の伐期令を考える事はない。

 勿論樹木には寿命や樹勢の衰え等があり、欝閉又は過密になった森林で、基盤となるべき森林を害しない様に、又将来有用なものをより成長を促す為、除伐や間伐を行う場合もある。しかし除伐や間伐は少なくなり果実として収穫されるべき経済的有用な収穫物が大部分を占める様になるのが理想である。

 そして高令木又寿命に近い樹木だけが伐採利用されるのではなく、多くの樹種が混在するこの様な森林(天然林型)では、灌木や下層木、草木等も有用なものは林産物として収穫する。例えば下木のクロモヂは爪楊枝になり、しきみ、榊等は神祭佛事に用いられる。三寸以下のツバキやシャラも床柱になり、杉、桧、松、カラマツ等の若い樹も海布丸太、磨き丸太(床柱等)柱材、ケタ材等夫々の大きさに於いて利用伐採され、ツバキの実は油となり、下層草木にも色々有用なものがあり、めようがや、ゼンマイ、ワラビ等も有用なものである。松茸やしめじ等、又ほだ木を置いてキノコ栽培も良く、蜂蜜の採集等、森林は多様な生産物を産出するので、木材のみを森林の主要生産物と限定することはない。夫々の用途に適するものは前記森林生産基盤を侵食しない範囲で、又経済的に効果のあるものは森林の果実として伐採利用されるのである。

 従ってその様な森林(多様な樹種が混在する)では、間伐、主伐は従来の様な考え方とはかなり違って来る。即ち、除伐、間伐は欝閉が甚だしくなり、又競合、競争が過密になり、又は樹勢が衰えて、将来的には価値が下がるか、周囲には邪魔になる様な樹種や将来成長しても必ずしも有用でないもので、経済的にあまり伐採してもプラスにならないものを、間伐又は除伐として伐採が行われるが、経済的に利用されるものは全て有用林産物であって、樹木としての成長途中のかい布丸太や磨き丸太も、そして前記多様な森林生産物も主伐の対象と考えて良いだろう。又伐期令も樹木によってそれぞれの寿命や樹勢の衰えがあるので、寿命が来て居るから伐採すべきであると考えても良いが、樹木の寿命は判断が難しい。即ち、樹勢が衰えて居るものでも、疎開し光を入れる事によって樹勢が回復するものも多く見られるからである。

 森林の生態状況によって、同じ樹種でも寿命の幅は大きく、前述の様に一定年令の伐期令と言う考え方は現実的ではないと考えるのである。例えば杉や桧の場合環境との関連で300年でも500年でも或いは1000年を超えても成長しているものがあり、又成長量の最多の時期も一斉の林の様に揃った林を作れば比較的一定の年令に近づいてくるが、環境条件が異なれば成長量最多の時期や、林分の平均成長量も異なり、又現在の利用が量的な面よりも質的な面に重点が移った時代では、成長量最多の時期に伐採をし、収穫材積の最多を求めるよりも価値の成長に重きを置くべきである。

 特に森林の生態的基盤に基礎を置くと、全樹種の森林の成長量のトータルは計測出来るが、個々の樹木の成長量は欝閉度、被圧木等、環境条件によって異なって来るので、あまり深く立ち入ることはない。

 即ち、杉、桧、松等に於いても皆伐跡地に一斉に植栽されるものと、高令木が生い茂る中で、二段林、三段林或いは天然林型の森林に幼令木が芽生える場合とでは、幼令木の成長期間に著しく差があり、杉桧では20年を経ても高令木の下層は径2~3cmの尚幼令木並みの径しかないものもある。その様な樹は年輪は密で、将来欝閉が疎開されて照度が増し成長が促進される時は成長が良く、且つ芯が密で質の良い木材が出来る。屋久杉等1000年を超えるものは幼令時代が長く芯の年輪が詰まっており価値の高い強固な材をなして居るのである。

 以上の様に伐期令という考え方も、この様な天然林型択伐林(抜き切り)では深く立ち入ることがないのである。

 そして以上の様な森林又は林業では、この幼令木は何十年後にどうなるのかとか、どの様な利用のされ方をするか等を考慮するよりも、森林の基盤をこわすことなく、なるべく天然林型の成熟林として将来に残す事が大事であって、その範囲内で数年内又は10数年内に利用出来る経済的効果を考えるべきである。従って、自然環境にマッチした生態的調査や検討が現状の林木の調査と共に大事な要素となってくる。

 また一時的には皆伐より伐採量は少なくて、経費が多少高くついても、継続的に伐採と収穫が得られ、収穫は皆伐後の裸地に一斉造林し、多年造林費のみを費やす皆伐植林に比べてトータルの面で遥かに安いことは前述の通りであり、経費より価格の高いものを抜き切りする為に、後の造林費を考慮しても全体として赤字にはならない。従って一斉皆伐はその時の収支は択伐より有利であるが、次の皆伐迄の造林費や育林期間中の無収入等、長期間に莫大な費用がかかり、森林基盤を残しながら継続的事業として果実のみの伐採による天然林型択伐林(抜き切り)による収支の方は、長期的に見れば遥かに有利な林業経営と云えるのである。

 現在、幼令又は史令の一斉林を、この様な森林に切替えて行くには、従来一般に行われて居た、被圧木や形質の悪いもの、劣勢木を間伐し、将来の主伐の為に優良木、優勢木を残して行く育林方法とは逆に、寧ろ劣勢木や被圧木を残し、優勢で径級が大きくなり、或いは少しでも収入があれば、それを伐採し、被圧された樹木でも、将来樹勢が回復の見込のあるものや今は未熟でも数年後優良木になる可能性のあるものを残すのである。極めて形質の悪いものは取り除くが、劣勢木でも周囲の優勢木又はあばれ木を切る事によって劣勢を回復させ、将来の利用を可能にする事を試みるのである。伐採の状況によって、疎開が過ぎた場合には補植をする。従ってこの様な森林では、将来は径級、令級共に不揃いになってくるが、その方が寧ろ森林として望ましいのである。

 又上記の様に、天然林型に次第に近づいて行けば、森林は保安的機能 (水源涵養や空気浄化等)や環境維持林として最も有用な森林として残されるのである。

 以上の様な林業又は森林は我が国でも実際行われて居り、小規模であるが、例えば岐阜県今須の択伐林、能登や東北地方のあて林業の択伐林、熊野地方のなすび伐り林業、秋田の杉の天然更新や、又大規模なものでは国有林長野県赤沢の檜、サワラ、ヒバ、ネズ等を主とする択伐林でみられるものである。これらは貴重な木材生産と環境林がマッチした林業経営であり、外国に於いてもドイツの公爵林に見られるトウヒやツガの択伐林、スイスの山岳地の択伐林やアメリカ東北部の松、広葉樹混交の天然林経営や、アメリカ南部地方に見られる南部松を主とする針、広混交の天然更新林業等で実際行われて居るのである。

 熊野林業研究所に於いても天然林型抜き切り林業に近づけながら、又森林基盤を維持しながら、環境維持と林木生産の一致する林業の経営を実施し、この方法や考え方を広く啓蒙、普及を計るのが目的である。現在この施業で実験中の試験林で15年以上も経過したものがあり、その成果は十分に得られて居る。

(浦木林業株式会社社長)

「熊野林業」第2号より 『熊野林業の経緯と天然型林業への道』 熊野林業研究所 会長 浦木 清十郎

[一]熊野林業の歴史と姿

 熊野地方における森林を天然林と人工林に大別すると、まず天然林の主体は照葉樹林であり、例えばシイ、カシ、クス、イス等の常緑大径木、ツバキやシャラ等の中径木を中心として、それらの中に、アカマツ、クロマツ、モミ、ツガ、マキ、杉、桧、サワラ、カヤ、トガサワラ等の針葉樹が混じる天然林を形づくっている。そしてそれらの大半が、過去において大なり小なり大径木は建築用材や家具材として、小径木は木工品や薪炭材やパルプ材等として伐採されて来て、その伐採された跡地に杉、 檜、松等を植栽して人工林をつくってきたのが大部分であり、杉、檜、松の人工林は戦後数十年の間に植えられたものが大半を占め、百年以上たった人工林は極めて少なくなっているのが現状である。

 

 いずれにしても天然林の他は皆伐採跡地に一斉に植栽され、何回かの間伐を経て四十~五十年を伐期(主伐期)として育てられた杉、桧の植林地が熊野林業の主要施業となっている。しかしながら、これらの皆伐一斉造林の林業が必ずしも熊野林業の本来の姿ではなく、又これが期待される理想の林業でもない。現にこれらの林業も経営が困難になり、立木価格より諸費用(伐木造林及び運搬費等とその他の造林費)が上回り、おおむね赤字経営になっているのが現状である。しからば材木の価格がよほど高騰しないと林業経営は成りたたないのであろうか。

 

 前記皆伐一斉造林の方式は明治以降盛んになり、特に戦争をはさみ、物資不足の折、皆伐が盛んになり、とりわけ太平洋戦争後の物不足の時期には他の産業に見習って大量生産大量伐採が盛んに奨励され、広大な山林が皆伐されては杉桧の植栽と単層林を作って来た。林業は永い時代に亘るものであり、熊野地方の林業も数百年を越す歴史をもって続けられてきた中で、皆伐一斉造林は僅かここ百年位のものでしかなく、更に顕著になったのは太平洋戦争の始まる頃から、昭和四十年頃までの二○~三〇年間に特に盛んになったものである。即ち長い林業の歴史の 中で、現在の方法(皆伐一斉造林方式)が延々を続けられて来たものではないし、むろん最も発展した理想の林業経営でもないのである。それは林業の本来の姿からは遠く離れた、一般の工業生産における大量生産企画商品の生産様式にならった方法であり、本来天然自然の恵みの中で育てられる林業がなじめる方法では到底ないのである。

 

 古来行なわれて来た林業は、天然林の中で天然林を損なうことなく保続的に収穫を得る林業が行なわれてきたものであり、それこそが本来望まれる林業経営の姿である。熊野の林業は今僅かに残っている「なすび伐り」に見られる様な天然林型の経営こそが、古来より受け継がれて来た理想に近い林業経営といわねばならない。

 

  この熊野に残された「なすび伐り」とは非皆伐、択伐方式の林業で、択伐方法は高齢木の中で、成熟木を少しづつ抜き伐ってゆき(別名「てっぺんすぐり」と呼ばれている)、その択伐後の跡地の疎開されたところへ植林してゆき、次第に複層林が形成されて永続的に択伐が可能になる方式である。

 

 ところでこれらのなすび伐りもその発生に遡ると、熊野地方に「木地師 (※)」が入って「木地師」による木工品の原材料としての林木が継続的に得られる様に必要な木だけ抜き伐り、残された木や林により自然形態が失われることがないやり方で行なわれてきた。つまり熟した果実を収穫するごとく、抜き伐りする事に始まりましたのがそれら天然林施業の林業の始まりである。そしてそれらの林業が継続され発展して良材を育てると共に、木や森林が残され、紀州熊野には針葉樹では建築材の材料となる大径木が残されており、又広葉樹に於いても大は建築の柱や貫、のじ板、かまち等の高級建築材から家具の材料となる樹木、小は竿や木工品、良質の炭が生産できる樹木など多種多様な樹木により豊かな森林が継承されてきたのである。

 

 これら「木地師」による山林施業が、「なすび伐り」の形態で受け継がれてきたもの、又ウバメガシ等の天然更新や、薪炭林として残されておるものである。 これらは大量生産、大量伐採、とはまったく逆の方法ではあるが、赤字経営体質にはならないし、この林業が本来の林業であり、この林業の原点に帰るべきと考えるのである。

 

 この様にして天然林が残り、継続的に収穫を得ると共に、森林とその生態が天然自然形で残り、維持されるならば、天然自然の恵みを最大限に受容しその蓄積価値が増えてくる。そして、人類に最も大切な水源涵養や水の浄化、あるいは空気の浄化又国土の保全と環境の維持にとって極めて有効に維持され、森林と林業生産が理想的な形で継続されるのである。

 

 [二]天然型複層林の施業方法

  (一)従来の方式(皆伐方式)

 日本の山は、地形や環境等が複雑で一定していない。ところが従来(特に終戦後)は、これらの山地に同一樹種、同一樹令のいわゆる単層にしたてる方法が主流をなしてきた。

 

 そこでは樹木を出来るだけ揃え(樹種、樹令、大きさ)ようとし、その単一化された林分に対して、一定年齢例えば五十年とか六十年に決めて伐採(皆伐)しようとする。これを主伐と称し、この主伐期までに複次的に行なわれる伐採は全て除伐・間伐として取り扱う。したがって、同一林分では何十年に一回しか主たる収穫(収入)がないと言う事になる。

 

 これは明治時代より欧米の経済思想が取り入れられ、日本の経済が急速に発展し、企画大量生産の時代にはいったことと並行して林業がドイツ林学の影響を受けて、十九世紀初頭にドイツで提唱された法正林理論 (※) にも影響を受けたものと思われる。この理論の森林を宣久的に保続して行こうと言う考え方では、わが国の天然林作業と同じ目的をもつが、人や社会が要求する樹種や樹齢又施業方法を揃え、次第に人為的或いは人工的になって行く傾向を持つ。例えば、主伐期を五十年と定めて皆伐するとしても、五十林分を持っておれば、毎年伐採(皆伐)していっても、順次、次の林分が成長していくわけであるから、五十年のサイクルの中で、毎年安定した収穫があり、かつ森林全体も永続されると言う合理性を計る考え方である。森林を宣久的に保続するという基本部分では共感するが、理想を追い合理化を計る余り画一的に考える傾向が強く、実際に適応して行く段階で、森林が天然の生態から離れた、単一化に近づき主伐や伐期令の概念を入れた皆伐方式に移行していったことが問題と言わざるを得ない。しかも極めて人為的農業的な考え方であり、かつ部分に注力し過ぎると森林全体を忘れ勝になる傾向があり、収穫についていかに効果的にかつ大量に収穫するかに力点が置かれてくると、単一化が行なわれ森林全体のバランスや自然環境、生態系とは全く離れてしまう事になる。しかもこの方式で行けば、林地の疲弊と共に樹木が低質になり、ひいては森林がなくなって行く事になりかねない。そして最も大きな問題点は、伐期令や輪伐期が人為的に決められる為に皆伐によって高令木が皆無になり、前述の林地が疲弊化することにより、森林にとって最も大切な森林生態基盤が次第に失われて行く事にある。


  (二)非皆伐・抜き伐りの方式


 以上のことを反省にして、次に森林の基盤を壊さずに果実(※)を得る方法、すなわち自然環境と収入の両方を満たす方式(非皆伐・抜き伐り)について、具体的に順次説明する。


 森林として収穫しても良い範囲、即ち森林の果実。


 ①量の問題


 (イ)数年~十年位まででその成長量の範囲内にとどめる。


 (ロ)鬱閉過多になった場合は収穫対象とするが、陽光が入り過ぎない様に注意する。


 (ハ)下草が生え過ぎる様な疎開は出来るだけ避けるが、やむを得ず疎開過多になった時は補植する。


 ②質の問題


 基本的に森林全体を見て、バランスを考えながら抜き伐り対象の木を決める。


 (イ)伐採時に経済的価値が高いものを伐る。周囲の木の成長妨げる程の大木と言う事になるが、それは大抵の場合、高い材質的価値を伴うものが多い。


 (ロ)傷木、曲がり木等の劣勢木については、将来的に経済的成長を見込めないものは伐採するが、将来何等かの経済的価値が期待出来そうなものは出来るだけ残す。


 (ハ)被圧木につては、基本的には残す事になるが、全体のバランスを見て、著しく鬱開している様な時は伐採する事もある。


 ③具体的な伐採(下層木を含む)


 以上の様な観点から伐採すべきものを森林の果実として考える事になる。


 具体的には、大きくて、材質の良い木が伐採収穫される事が多いと言う結果になるが、必ずしもそうでない場合も出て来る。つまり、森林全体では樹種も色々なものが混在するし、もちろん大きさ・形質等も様々であり、種々な形が考えられる。例えば、未だ若い人工林の林分においては、海布丸太、みがき丸太、柱材等収穫対象となり得る。また、天然広葉樹林においては、有用樹種が沢山あるので、例えば、ツバキ、リョウブ、ウバメガシ、サカキ、シキミ、クロモジ等々、伐採収穫される木は多い。もちろん天然林においても非皆伐の基本は守るべきである。


 人工林、とりわけ単層単純林も前記の様な抜き伐りの過程を経て、長年の間に次第に自然生態の天然林層に近づいて行く。そして理想の天然林に近い複層林に限りなく近づいて行くのである。


  (三)まとめ


 従来の皆伐を前提とした、規格大量生産方式では、樹種は杉と桧(但し亜寒帯ではカラマツやエゾ松等を主とする)に絞って、一斉伐採、一斉植林により、規格化された林分を形成していった。


 この様な森林は、一見すると美しく揃っている為に、美林として見られがちであるが、本来の自然の姿とは遠くかけはなれた姿である。 反対に、非皆伐・抜き伐り方式の林分は極めて不揃いで、多種多様な樹木の集合体ながら、その姿は限りなく天然林(自然林)に近いものといえる。


 人間は自然から大きな恵みを受けて生きているのであるから、この自然の形を壊す様なやり方は良いはずがない。


 自然のバランスを壊さずに、しかも、高い収穫を考える方法は、この非皆伐・抜き伐りの方式以外には考えられないと確信する。


  ※木地師......木地師とは、椀、盆、こま、こけしなどの木工品をつくっていた職人のことで、その材料としての原木(良質のトチ、ブナ、ケヤキ、サクラ等)を求めて、家族又は数戸のグループで深山に入り、必要な原木をぬき伐りしながら木工品をつくって生活していた。その歴史をたどれば、平安 時代、惟喬親王が現在の滋賀県神崎郡小椋谷に隠棲される間に、親王から技術を教えられたのが始まりとされ、 その後のその技法をえとくした職人達が用材を求めて他の地方に出てゆくことになり、やがて全国の山々に広まって行った。江戸時代には、農工商の上にあるとの誇りをもった集団であったが、一般の村人とは交わることなく、独立した集団として深山で生活をしていた。これら木地師の人達が紀州熊野にも広がってきたものである。


 ※法正林理論......この理論は、法正令級、法正配置、法正蓄積、法正成長量といった内容を伴った、いわゆる法正状態を備えた森林のことで、目的を決め伐期令や輪伐期を合理的に算出し天然生態条件よりも人為的計画に重点を置き、毎年一定の等しい材積収穫を得られることを目標にした理論である。しかるに実際の森林(特に日本の森林)では、地形、気象、生態など実にさまざまな要因が複雑に関わっているので、この様な画一的かつ観念的理論は実現性が極めて乏しいといわざるを得ない。この理論は、十九世紀初めにドイツで提唱され、その後日本にも導入されたが、ドイツの平地林と日本の急峻な地形の山岳林では当然森林の取り扱い (施業)が異なるはずである。しかしそれをとりわけ国有林において積極的に取り入れてきたものであるが、日本の伝統的林業を継承してきた民有林においては、この理論には必ずしも添い得なかったという経緯がある。


 ※果実......ここで言う果実というのは、森林全体の中で利用に供せられるべき林産物で、森林の生態を壊すことなく利用可能な林産物をさす。すなわち森林のトータルな成長量の範囲内で、過密林分状態の森林を対象にして、その一部を伐採しても森林の生態系が損なわれない程度の伐採可能な範囲の林産物であり、かつそれが利用可能なものを果実とみなすものである。従って単木で成熟したかどうかを考えるものでもなく、又単木の年令や大小を考えることでもない。又小さな潅木や単木では成長途上のものでも、利用可能な林産物である以上は、森林の生態系 を壊さない範囲内で過密や鬱閉が過度で伐採すべきものは果実とみなす。但し、あばれ木や周囲に害をおよぼす様なものは、除伐として伐採されるものもあるが、これらはここで言う果実には入らない。

「熊野林業」第3号より 熊野の林業とその原点 熊野林業研究所 会長 浦木 清十郎

 紀伊の国、熊野には、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三大神社があり、熊野三山と云われるが、熊野本宮大社の主神は家津御子之神、即ち素戔鳴尊である。素戔鳴尊は木の神でもあり、熊野本宮大社では毎年四月に木苗祭が行われるが、日本書記第一巻(神代上) の中に、「五〇猛神天降ります時、多に樹種を持ち下りき。然れども韓地に殖ゑずして、盡持ち帰りて、遂に築紫より始めて大八洲国の内に播殖して、青山に成さずと云うこと莫し、所以に五○猛命を称えて有功之神と為す、即ち紀伊国の所巫す大神是なり。」という件りがあります。

 又、一書に曰く、素戔嗚尊の曰く、「韓郷之嶋は是れ金銀有り、若使吾がみこの所御す国に浮玉有らずば、未是佳世とのたまひて乃ち、髭背を抜き散つ、即ち杉と成る。又胸毛を抜き散つ、是れ檜と成る。尻毛は是れ枝と成る、眉毛は是れ樟と成る。己にして其の用ふべきを定む。乃ち称して日わく、杉及び樟、此の両樹を以て浮寶と為す可し、檜は以て瑞宮を為す可し、枝は以て頭見蒼生の奥津棄戸に将臥さむ具に為す可し、夫のくらうべき八十木種も皆能く播し生つ、時に素戔鳴尊の子、號を五十猛命と曰す、妹は大屋津姫命、次につま姫命、凡て此の三神、亦能く木種を分布す、即ち紀伊国に渡し奉る。素戔嗚尊熊成峰に居しまして、遂に根国に入りましき。」と記されている。

 以上神話(日本書記)にある様に、熊野は神代の時代より木と植樹が行われて居り、又杉、檜、楠、栂等が出材され、その用途に応じて利用されていた事を物語って居る。

 亦、記にはイザナミ之大神、火の神を生みて亡くなられ、紀伊国、熊野郷有馬の里、花のに葬られるとある様に、火の神の事が述べられている。前述の熊野三山のうち、速玉大社では二月にお燈祭りが行われ、本宮大社では四月大祭に於いて修験者によるお火焚の祭事が行われ、 又那智大社では七月に大かがり火による火炎の大祭が行われる。即ち熊野は火に関係が深い事は薪や炭が産出し、精錬や鍛冶が古代より行われていた事を物語っている。これは薪が豊富であり、製炭も発達して居たのであろう。

 熊野の地主神(土着の神)である、高倉下命(熊野各地に祀られている)は、鍛冶の頭領であったと云われている。熊野川は砂鉄が産出し農耕用具(くわ、すき)や、なた、よき、刀剣等が製造されて居たと云われているが、これは良質の薪炭が必要であり、現在も熊野の備長炭として有名な整炭の技術が古い時代に発祥したものと思われる。

 又、紀州は味噌、醤油の発祥の地(湯浅地方)であると云われるが、味噌、醤油、酒等は大きな樽が必要であり、杉による大樽が作られており、大径木の杉、檜等が古代より利用されていたことは神話にある通りである。又本宮町には音無紙と云う和紙の製造がなされていたが、 コウゾ、三又等による高質の和紙も古くより生産されていた。傘は紀州が元祖と云われるが、傘の骨の竹や、番傘に貼る紙と、それに塗るシブも紀州の山から採られたものであろう。

 又本誌熊野林業二号にも記述した様に、各種の木工品、あみ傘や籠、棹、竿や川舟や各種家具や道具等色々な木工品が作られており、古くから椿からは櫛が、ツゲからは印の材料が、楠からはタンスや家具が、樫からは棹や白炭、カヤからは基盤や将棋盤を、ケヤキからは机や床 板等、サクラからは机や敷居等、熊野の暖帯照葉樹林と、杉檜松梅木等の針葉樹からは各種建築材や家具、道具類が作られ、そしてこれらの生産材は単に天然林から採取するだけでなく、継続的林業として採取や伐採と共に植樹が行われていたと考えられ、なすび伐りと共に、今で も古座地方にウマベ樫の萌芽、択伐等に見られる林業が古くより行われていたのである。

 神棚にささげる榊は熊野の林の中に多く見られるが、古来より榊は神様に捧げて来たのであろう。日本の姓で一番多いと云われる鈴木姓は熊野が発祥である。去る武家の大将が熊野にでた時、或る神官が榊の木に鈴をつけて、その大将に差し出した所、大将は大層感銘し、その人に鈴木姓を与えたのだと云う。

 なすび伐りやウマベ樫の択伐、又大径木の抜き伐り等は、一斉皆伐、一斉造林の行われる様になった近年、如何にも原始的、非科学的、非技術的と思われているが、それは全く思い違いであり、逆なのである。即ち、林業として、技術的にも極めて高度な配慮が必要であり、皆伐一斉造林の様に単純なものでなく、皆伐一斉造林こそ目先利益にとらわれた近視眼的経営であり、単略的な林業経営なのである。

 以上の如く、熊野は古来より、木材(大径材、小径材) や多種類の林産物を産出し、本来の林業が営まれて来たのであり、林業の歴史として、日本で最も古いものである事が想像されるのである。

 又現在我が国では、杉、檜が主に植林されて居り、林業とは用材のみを生産する造林の事の様になって居るが、前述の様に林産物は多種多様である。そして杉、檜が最も有用で、将来もこれに限って収穫されていくという考えは誤りである。何故なら時代の変化で世の中のニーズ は変わるからである。何十年先の事を全て今現在の事に置き換えて推論する事は危険である。現在の有用な樹木を植えようとする考え方に傾くのは無理もないが、何十年先の事は予測がつかない。経済の見通しや物価のトレンド等は、三年~五年先でも難しい。まして三〇年~五○年以上の事を考慮する林業の予測は不可能に近い。今現在の事にとらわれているだけでは将来の事は見誤るであろう。

 将来の経済や需給の事はさておき、自然の恵みを最大限生かし乍ら、天然自然を手本として、森林を育てるべきである。森林の生態や成長を予測する事は可能である。即ち森林の自然の生態をよく見極め、それを第一に重点を置き、林産物を収穫できる森林の基盤を整える事である。自然の恵みを、自然を毀さない範囲で森林を育てる事を第一義として、それから載く林産物については、人間の欲望や目先の利を優先すべきではない。自然を大切にしながら、果実として成熟したものの中から時代のニーズのもを頂くのである。

 そして今一番問われて居るのははたして林業は成り立つのであろうか、と云う事である。林業は土地+森林が林産物の生産基盤でありますので、皆伐は生産基盤迄根こそぎ伐採売却する事になり、生産工場そのものを(土地を除いて)取り壊し、売却する事と同じである。従って皆伐一斉造林は工場に当たる基盤作りから始めなければならない。前述の様に林産物の収穫を生産基盤諸共売却して、その都度基盤整備の設備投資を行い、林業の基盤である森林が生育し、設備に当たる森林基盤が出来上がる迄長年月を要する。この様な生産基盤迄その都度毀す皆伐方式は成り立つ筈はないのである。

 あくまで生産基盤を残し、又は基盤を育成し乍ら、その果実である林産物の収穫をする事でなければ健全な林業とは云えない。この方法を行うと設備投資費用と設備造成期間が限りなく減少し、果実のみを得る森林基盤が確立すれば、果実である林産物の収穫には赤字にはなら ない。然も基盤である森林は、一般生産工場の様に償却、低減する事はない。

 今迄の間違った林業経営の為に、森林の基盤整備が出来上がって居ない場合、即ち設備投資期間中であり、収穫の少ないまま設備投資に年々に費用が嵩んで居る過渡期の状態の時(皆伐をして来た多くの林業はこの過程にある)、どの様に林業経営維持をして行けば良いであろうか。

 兼業農家と云う言葉がある様に、他の業態と兼業で林業を行う事は可能であります。否寧ろ林業の特殊性から兼業を積極的に薦めるべきであると思われるのである。

 即ち林業は天然自然の恵みを最も受ける業種であり、経営形態をできるだけ天然林型に近づける様にすれば、経営管理の人手は限りなく少なくなり、他の業種に避ける時間、労力の余剰が出来るのである。

 前述したが、伐採利用や保続管理、季節的か隔日か(月の内何回か)による管理で十分である場合、時間的、季節的、労務管理的余裕も他の業務に向ける事が可能である。兼業の他の業種又は業態は様々であり、立地や現況又それぞれ所有者、生活者の事情によって色々な事が考えられる。農業との兼業、土木やその他、又他の企業に勤める等、様々な場合がある。問題は林業と矛盾しない、時間的労力的に両立させるべき兼業を見出さなければならない。林業をやめて他の業界に移るとか、林業を犠牲にしながら他の業務を行うとかであってはならない。

(浦木林業株式会社社長)

「熊野林業」第4号より 『南紀熊野体験博と熊野の山林』 財団法人熊野林業 会長 浦木 清十郎

 今年は熊野地方に於きまして、4月3日より9月10日迄南紀熊野体験博が行われます。一般の博覧会が一点集中型であるのと違って、熊野16市町村を舞台に、広範囲に亘る新しい構想の博覧会です。即ち一カ所に建物(箱物)を集中することなく、熊野全体の環境がテーマであり、その歴史と文化と現在の環境を体験し、味わってもらおうとする壮大な構想です。
 
 熊野は美しい海、山、川、渓谷、瀧、森や温泉等全国でも類希なすばらしいものを持って居ります。これだけ揃った優れた環境は全国でもありません。更に日本発生に係る歴史、文化を持つ希有な所です。日本建国が大和の橿原で神武天皇の即位と共に始まりました。2月1日の建国記念日です。神武天皇が大和に入る前に上陸した所が熊野です。古事記にも日本書紀にも記されて居ります。大和の政権が生まれ、今の日本の礎が出来ましたが、大和朝廷での先祖、即ち神代と云われる時代の神々が熊野に祀られて居ります。熊野は日本の先祖の神々の祀られる所です。国の先祖が祀られて居る熊野にお参りするのが熊野詣でです。蟻の熊野詣でと云われた程盛んな時代が長く続きました。その熊野詣での参道が熊野古道です。この度の体験博の主要なテーマです。熊野古道は田辺より本宮、新宮、那智と熊野三山に至る熊野の山々、森林をぬって続いて居ります。

 熊野のすばらしい森林、樹木を十分に味わうことが出来ます。

 熊野三山の一つ熊野本宮大社は木の神である家津美御子大神が主神です。

 家津美御子大神はヤマタのオロチを退治した素盞鳴尊の別名です。

 古代より森林と林業が熊野の特色であったことを伺わせます。熊野の山林は照葉樹林で、高木ではカシ、クス、シイ、タブ、ツバキ、モッコク、モチ、ツバキ、ヤナギ、ヤマモモ、ヤシャブシ等の広葉樹と灌木ではサカキ、シキビ、クロモヂ、シロモヂ、ツツジ類又針葉樹ではモミ、ツガ、カヤ、トガサワラ、槇、ヒノキ、サワラ等です。落葉樹ではサクラ、ケヤキ、トチノ木、ホウ、シデ、カシワ、ナラ類、ハゼ、ウルシ、カツラ、ヤマアジサイ等で山が高くなる程落葉樹が多く見られます。秋から冬にかけては山裾の方は紅葉が少ないのですが、少し高くなると紅葉も増えて来ます。熊野古道はすばらしい熊野の山林地帯です。

 熊野古道を歩くと、熊野の森林、林業の色々な生態が見られます。又杉桧の造林地も色々な年齢層が見られますし、複層林や天然林を見ながら遊歩出来るすばらしい山道です。是非とも熊野の古道を散策し、遊歩する事をお奨め致します。

「熊野林業」第5号より 『森林と人類のかかわり』 財団法人熊野林業 会長 浦木 清十郎

 人類と猿の共通先祖は森で生活して居たが、木登りがうまく、安全で食物の多い樹木生活に適したものは、猿として進化し、多くの種類に発展した一方、木登りの下手で樹上生活から落ちこぼれた人間の先祖は、地上では猛獣に襲われる危険から森から離れ、草原に出て行ったが、草食獣の集まる草木の豊かな土地には、猛獣も集まり、弱くて逃げ足の遅い人間の先祖は、次第に草木にも乏しい荒地や岩山の様な草木もあまり茂らない食料の乏しい所に逃れて行ったと想像される。

 そして人間の先祖は食物を漁る時、絶えず監視が必要であり安全な場所に戻る迄、絶えず背伸びして頭をもたげ周囲を見まわし、危険を避けながら歩み、安全な隠れ家に戻ってきたのであろう。

 そこで人間は立って歩く事を覚え、直立歩行が出来る様になり、即ち人間に進化したのである。

 人間は、直立歩行の為に、他の四足動物とは違った頚椎の構造になり人間としての特徴が出来たのであろう。
 
 そこで人間は手を使う事や、食物の保存や、草木の種を手で持ち運び、隠れ家の周辺にまき散らし、栽培の技術、即ち、文化(カルチベーションカルチャー)が生まれたのである。

 この様に森を離れて人間が進化し、草木の種子を蒔く栽培技術を覚え文化が芽生え、長い年代をかけて人類の進化と大きな発展を見たのであろう。

 一人類が生まれたのは、アフリカで約五百万年位前と言われているが、アフリカからアジア、ヨーロッパへの移動と広がりが始まったのは約百万年位前と推定される。

 それから人間は全世界へと広がり発展するが、すべての哺乳類がそうであるように森林が故郷であり、又、人類文明へ何百万年の長い歴史の中でその発展は森林に負う所が最大であり、人類は森と共に発展し文明文化を発展させた。

 人類は森林の産物、特に棒切れ等、始めはささやかなものを用いたが火を手に入れてからは、大量に森林を消費する事になったのではなかろうか。

 中国で発見された、北京猿人は、既に火を使う事を知っていたといわれ、近年報じられたものでも人類は七〇~八〇万年前に火を利用したと言う記事があった。

 始めは暖をとる為に用いたのであろうが、農業が発展するに従って森林を焼いて、畑地を広げ、又食物の煮炊きの他に土器や銅、鉄の製錬に火を用いる為に木を燃やす事を覚えて、森林破壊がはじまったのではなかろうか、(今も焼畑農業が最も森林を破壊するものの一つである)人類は森林を消費しながら文明を築き発展するが、現在では森林を枯渇する方向に森林をとりつくしているのである。

 森林に代わる多くの資源や、エネルギーを、人間は発見発明したが、森林が人類の大きな資源であり基である事には変わりはない。

 前述の如く人間の欲望を満たす物質文明は、森林を減少し枯渇に追いやっているが、空気の浄化や水源の涵養、 環境の保全等、森林は(水や空気がお金に換算した時の価格は極めて少ない)人類存亡の大きな役割を荷っておるのである。

 この事に人々は気付き始め森林の保護や、環境の維持が叫ばれる様になったが、この声も森林の減少を食い止める程の力にはなっていないのである。

 又、前述の如く現在のお金に換算する森林の価格は低く非常に安いのであるが、この大切な森林について為政者も経済人もその大切さを口で唱えて居るが、切実な問題としての意識は甚だ低く、政府も国民もこの事の重要性に関心をもち、如何にして森林破壊、森林の減少を防ぐかにもっともっと心を向けるべきである。

 我が国の国有林では自然環境林を増やし、林産物生産の山林の面積割合を、減らして行こうという方針をうたって居る事は望ましい事であり、又、民有林に於いても、持続的山林経営とか、非皆伐の林業を奨励する傾向が強くなっておる事は、森林を保全する為に喜ばしい事である。

 しかしながら森林を維持して、環境保全に役立って居る民有林に対して、維持する為の助成や支援が他の産業の育成に比べると殆ど行われていない。

 民有林の経営維持が非常に厳しい時代に、この助成こそもっと政府は力をいれるべきではなかろうか。

 又、木材生産の山林と自然環境を維持する山林とを、林業白書では区別して居るが、一済皆伐一済単純林造成の林業では、天然林と人工林では非常に異なっているが、必ずしもこれが林業の望ましい姿でもなければ、林業の基本でもないのである。

 私共の提唱する天然林型林業経 営と、木材生産とは矛盾しないばかりか、この方が継続的に森林を維持しながら木材生産を行い、一度にどっと多くの収穫がなくても恒常的に林産物が得られ、トータルで見ると遥かに収穫が多いばかりでなく、造林経費がうんと少なくても済み、林業経営の理想の姿なのである。

 この方向に林業が目指すならば、森林は減少する事なく環境を破壊しないで林業の収穫が継続的に得られるのであり、又トータルとしての収入は遥かに多い事は前述の通りであります。

 この様な天然林型林業経営は、これ迄、熊野林業の中で度々記述して来たところでありますが、熊野地方のなすび伐り、岐阜の今須の択伐林、秋田の杉の天然更新や国有林の木曾の大規模な天然更新等、又、外国ではスイスが全山非皆伐であり、嘗てのドイツの公爵林の択伐林、又アメリカの東北部や南部の天然更新択伐林等は既に別号で記述したところでありますが、本来の林業はこれらの天然林経営であり、世界にはその範がいくらも存在しているのである。

 今の皆伐林業は一般工業や農業の規格、大量生産方式に組み入れられて、林業の本来の経営方式が変質して行った結果である。

 森林を失った国と民族は、文明もやがて亡び、又民族の繁栄も 衰亡する事は中東地方の現状がそれを物語って居るのである。

 私共の天然林型林業経営は未だ少数であり、わが国でも理解される方々は少数派であるが、この主張を広めて 行くのが私共の大きな役割であり願いであります。

 大量生産、大量伐採も、大きな森林破壊の要因であるが、前述の焼畑農業が後進国における森林破壊の横綱であり、これらの行為を少しでも減らし、天然林経営林業に、切り替えて森林を守り、林産物の生産を安定させ森林を継続的に維持して環境を守って行く事が、林業を存続させ、 国の衰亡を助け、ひいては人類滅亡を救う大きな要諦であります。

「熊野林業」第6号より 『森林と林業(人との関わり)』 財団法人熊野林業 会長 浦木 清十郎

 人類と森林の関わりは人類として進化し始めた時からである事は申す迄もない事であります。人間は進化して火を用いる事を覚えたのは数十万年前と云われて居るが、人間はこの火を色々な事に利用しその大きな効果はどんどん進展して行った。暖を取る事や食物に火を用いた事は云われて居るが、精練のことや、森林を農地化や放牧地化するために焼いたり取り除いて行った事も云われて居る。
 
 森林や林産物は、人類にとって最大の恵みであり何十万年もの間、人間の資源として利用してきたにも拘わらず、一方では、森林を必要以上に消費し破壊していったのが人類の歴史ではなかろうか。火は、森林破壊の元凶にもなって居る。

 人類の文明時代(一万年位前から)に入って森林の破壊と減少は急速に広がったが、この一、二世紀には更に激しく急角度で森林の破壊と減少が行われて居る。

 近年になってこの事に気づいた文明国では、大きなテーマとして環境問題を重要な課題として取り上げてきた。森林の破壊が世界的なテーマとして論議される様になった事は宜べなる事であるが、果たして破壊の力と速度をどれだけ食い止められるだろうか。

 我が国は世界で最も、国土の中に森林が多く残された国の一つである。しかし、我が国も森林は質的に低下の傾向にあり(人工林が増え、天然林が減少して居る)、自然環境維持は低下して居る。

 私共の林業は元々、森林を維持し乍ら、林産物を得る天然林型林業が本来の姿であったが、明治から西洋文明が入り、昭和になり規格商品大量生産の時代となった。その頃から林業は、樹種を絞り皆伐一斉造林の方向となった。特に戦争末期の森林強制伐採から戦後の高度成長時代には、南では杉桧を北では落葉松等を中心とした、画一的単純皆伐造林生産方式に移行して行った。この方法は目先に利益を得るには効果的と考えられて居るが、それは一時的に財貨を得るには手っ取り早くても、長いスパンでのトータル収支における最多ではないのである。即ち、伐木造材運搬経費は安価で効率的であるが、その後の造林撫育経費が高く、且つ次の収穫へ長い年月が必要となる。一方、天然林型施業の方が高度の技術と経験が必要であるが、収穫が継続的に得られ(時に毎年)、育林、植林経費は安くなり、トータルとしての収穫収支は天然林型施業の方が遥かに勝るのである。そして、森林は保続されると同時に、環境、国土保全等に大きく寄与されているのである。

 又林業や林産物と云うのは、木材を生産する事だけではない。確かに森林から得られる生産物の中では木材が一番大きく、それが大部分であり遂には木材生産のみが林業であり、林産物であるというイメージが強い。更に建築用材とするために通直な大径木を目指し、樹種は杉桧松等に絞られて行く傾向にあった。しかし、本来林業や林産物は多種多様である。例えば小径木の海布丸太や磨き丸太、もっと小さい材や各種木工品を作る流木や木の枝、又木材以外の茸や各種林内草本、薬草や山菜(ワラビ、シイタケ、クズやカタクリ)が混在している。一方、蜂蜜や他の動物等(野性獣や鳥、昆虫や小動物等) 林産物の種類は豊富で、森林から生産される様々な物は全て林産物であり、それらの生産物は全て林業に含まれるものと考えるべきである。

 ところで、農業と林業の基本的な違いは、農業は土地が生産母体であるが、林業は土地プラス森林が生産母体である。尤も、皆伐一斉造林は農業と同じく土地のみが生産母体である。これは林業の本来のあるべき姿としては望ましい形態ではないのである。飽くまで森林そのものが生産母体であり、その森林から母体を損ねる事なく、森林全体の年間成長量の範囲の中で果実を収穫する事、即ち森林を損ねる事なくその果実である林産物を年々収穫をする事が本来の姿なのである。そして、その収穫される果実は木材を始め、各種の林産物であるが、これ等は、森林という母体を維持し乍ら収穫されるのである。それが望ましい林業であり、長い期間に亘りトータルとしての収支が最大になるのである。森林は農業に比べより自然であるので、技術と経験に於いては高度なものが必要であるが、人為的な労働は遥かに少ないのである。しかし、農産物の多くは何万年前か何千年か、又近年に 於いて、自然の中の原種とは程遠く、大部分が人々の好みに人為的に品種改良されてしまった。この事により一般の農産物は、施設や消毒、草取りや風雨の保護等に絶えず手をかけて居ないと育たなくなり、人間の健康、栄養の面でも次第に低下したものに成っている。

 天然林型施業では、場所や地形、自然の生態、自然条件の調査や考察が必要であるが、辛抱して忍耐強くこの貴重な森林と云う大自然を大切にしながら、林業経営を行い森林を損なう事なくその産物を貴重な果実として戴くべきものと存じます。

 林業は農業的な手法や改良にひかれて行っては成らない。本来の林業、天然林型林業に戻るべきであり、これが結局の所人類にも長い目で見れば大きなプラスになるのである。

「熊野林業」第7号より 『森林と人類の関わり』 財団法人熊野林業 会長 浦木 清十郎

 森林は陸上生物の故郷であり、宝庫でもある。生命が海より陸に上り地衣類から草原にそして次第に森に発展して行き巨大な樹木や動物が繁殖し、その種類もおびただしい繁栄を見た。

 木登りのうまい小動物は猿に進化し、安全で食物の豊富な樹上で生活する猿が種類も数も大きく進化し発展もみた。木登りの下手な猿類の祖先は地上では安全が脅かされ森を出るが、草木が繁茂し、食料が豊富な場所は多くの草食獣が集まり、それを襲う食肉獣が寄って来て、弱く足の遅い人間の祖先は、そこにいられず次第に食物の乏しい岩山か土地の乾いた草原に、逃れて行ったと思われる。

 そこで乏しい食物から栄養を取るために草本の種子を集め、それをもぎ取って安全な場所 (岩山や洞窟)に運びそこで食する事、保存する事を覚えたと思われる。

 その為、二本足で歩くことを憶え、草木の種子が住み家の周囲で落され、種が芽生え栽培が始まった。二本足で歩き、手が発達し道具を扱う事を憶え、草木やその根や果実の他に小動物(うさぎやねずみ・昆虫・爬虫類等)も食したに違いない。

 人間の歯の構造は草本の種子(穀物)をかみつぶすのに適して居るが臼歯が二十本の他に犬歯が四本、門歯が八本ある所が、以上の食物を食して居た事を物語って居る。

 小グループから集団に、又棒切れや石を持ち、次第に人間は集団と道具を使うことによって、強くなって行き、大きな動物も倒す様になり、食肉獣に対しても恐れなくなって行き、次第に住み家を広げて行き、食物の豊富な所に、又栽培が一層し易い場所に移動し、そして五百万年位前に人類の祖先の発生からその進化と歴史の中で、人間は数を増やし進化し、世界のあらゆる場所に移動し発展して行った。

 アフリカの森林より草原へそして食物の乏しい岩山から肥よくな土地に、そしてアフリカからユーロシア大陸にうつってきたのが百万年前後と言われている。それから世界のあらゆる場所に広がって行き、火を手にし、(数十万年前と言われる)始めは暖をとる為であったろうし、又食物を焼くに用いる様になり、その後は森を破壊して農場や牧場を広めたり、金属を溶かして色々な道具や武器を作るのに用いる様になり人類は大きく発展して行くが、この様な文明の発展と共に、森林や自然を壊す事が急激に進んで行ったに違いない。

 文明の発展は二・三万年前から急に大きくなったと思われる。今の人類(ホモサピエンス)は十数万年位前から現れたと言われるが、更に現代人(旧人類と新人を区別する)は数万年位前と言われ、それまでいたネアンデルタール人(ホモネアンデルターシス)は突然滅んで居る。

 現在人(ホモサピエンス)が現れて急速に文明の発展と森林破壊と共に、他の生物に対する殺傷も急に進んで行ったと思われる。

 現代人は大いなる文明の発展と共に、自然を破壊し他の生物を殺戮し、欲望の為に人間だけが求める方向に走って行き、奪い合い人間同士の争い、戦争が生まれ自然を破壊して行きながら、人類同士が殺し合う、恐ろしい人間の世になって来たのではないだろうか。

 そして、集団の戦争からテロの戦争になり、欲望の為の文明の発展は恐ろしい方向に進んで居るが、生き物の故郷で人類を生み、育んでくれた森を破壊してどうして生きて行けようぞ。人類は大きな天罰を受けて居るのである。自然を大切にし、生命の故郷である森を大事にして行く事が、この様な恐ろしい世から救う道ではなかろうか。

 私共、日本人は古来より自然を愛し自然を大切にして来た。そして森は神の住まう場所、佛の修行する場所と尊んだ。森の文明、木の文化、木造の建築や木の道具、森林から取れる多様な林産物や恵み、この様に森と共に生きて来た。

 日本人の生活と心情は、森や自然を破壊して行く西洋文明とは対極をなす。

 自然を愛し自然の中に育む生命を尊び、多くの生命・生物と共存し生きて行く事こそ、人類を救う素晴らしい文明ではなかろうか。

 これらの事をよく見直して、徒らに現在の文明の方向に走る事なく、長い先祖より受け継が れた日本人の心、日本人の文化こそ、世界を救い人類の危機を救う最善の方向ではなかろうか。

 私共林業に携わる者は、この尊い日本人の文化の心髄である森を基にして大切にすることが仕事であり、この事に誇りをもち出来るだけ自然をいためない林業の方向を目指し、そして単に木材生産のみに片寄らず、森林のもつ多様な効用を生かし、森林を大切にして、人類の生存の為に森林と共に生き、森林と共に業を営む生き方が人類を救うと言う大きな使命を持っている事を誇りに持ち、これを訴え広めて行くことが大切ではなかろうか。

 森林と林業は自然の森林を大切にし、材木の収穫のみの林業でなくその中から林産物と言う果実を戴いて、単に 林を壊す事なく収穫を得ると言う林業と林産物の生産と収穫を目ざすならば、自然は壊される事なく恒常的に果実(林産物)を戴き、それが人間の恒久な生存と幸せな人生、豊かな社会、平和で希望のある国作りとその発展につながるのではなかろうか。

「熊野林業」第8号より 『森林と人類のかかわり』 財団法人熊野林業 会長 浦木 清十郎

 高野、大峯、熊野に亘る古代よりの熊野三山 (熊野神社)之参詣の道が、ユネスコ世界遺産に登録され一躍脚光を浴びる様になった。
 
 平安時代より、千年に亘る熊野信仰に対する信仰と修行の道は、御神仏を祀る高野、熊野と共に文化遺産としての登録がされた。この道は、連綿と続く険しい山岳や谷と緑に覆われ、又瀧や渓谷から流れ出す豊かな水が、熊野川やその他の河川に続いて居る素晴らしい自然地域にある。

 この地方は、林業の歴史も古くその為に森林の割合は、自然林よりも人工林が多くなって居り、その部分は杉檜が多く自然の多様な森林から遠ざかって居る。しかし、今後この地域が保護され環境が大切にされれば、何れ天然林が生長し、夫々の大木が生長して原始林に近づいて行き、天然の森と山とが調和する素晴らしい環境に育って行くであろう。

 戦後の物資不足の頃、木材も飛ぶように売れ、真直ぐで成長の早い杉檜の植林が奨励され、人工林としては、杉檜のみの一斉造林の林になって居るが、今では嘗ての木材ブームが去り、以前とは全く対照的に数十年生の杉檜も、殆ど収益にならない状態である。この現状の中では、杉檜だけが林産物であるという今までの林業家の意識を変えるべき時代になって来たのでは なかろうか。

 森林の中の全ての生産物、並びにその効用全てを森林の産物と考え、建築材を主とする針葉喬木を始め、家具や色々な材に使われる大径木の広葉樹、又間伐材や小径木は、竿や建築材の他に家具、カゴや台所用品等の日用品、又装飾品等その他色々な用途の木材製品に使われ、小経木や潅木は、上記の他にも数え上げれば切りがない程、その用途と利用は多いのである。

 又、薬用や食用に使われる薬木や菜や根、木の実や果実、栗やクルミ、栃の実、やまもも、あけび等、たらの芽、山椒、わらび、ぜんまい、茗荷(みょうが)、葛、片栗、ワサビやキノコ等食用や薬用も数え上げれば限りがない。又、森林動物のイノシシや鹿、野兎、キジ、山 鳩、ヒヨやスズメ等、そして谷や川に住む魚貝類や昆虫等多くの植物や動物は、食用としても、薬用としても或いは観賞用やペットとしても人々の暮らしに役立ってきたし、又現在にも生かされているのである。タラの樹皮やニワトコ、天台烏薬、アシタバ、ゲンノショウコ、ジュウヤク等の薬木、薬草等、これらの産物は、前述の如く人々の生活に大切なものである。

 更に森林の効用は、リクリエーションやキャンプ、山登りやハイキング等、観光、健康スポーツ等に利用効果があり、更に高野三山と参詣道が示して居る様に、信仰と修行の場所として精神的な宗教的な修行の場所と成っている。

 以上の様な森林の多種多様な産物と効用は、規格大量生産、低コスト志向の大量生産方式では、その育成も経営も不可能である。これらの夫々の分野の生産や育成管理と経営は、きめ細かく飽くまで手工業的な分業としてやらないといけない。夫々の分野に応じて、農業や他の 職業との兼業を含めてきめ細かな経営を考え、それらをまとめて行く総合的な管理と経営が必要である。

 森林所有者は、全体の基本計画を作り夫々の分野にその土地、森林を提供し、全体を管理し、経営をして行く事である。

 地形が多様のため環境も変化に富む日本では、規格大量生産方式よりは前記の様な経営と生産を考えなければいけない。

 日本人の持つ繊細な技能や性格は、以上の様な方式に熟達すれば長続きする成果が発揮され、大陸や他の国では出来ない日本特邑の事業が発展するであろう。

 そして、以上の森林の利用や生産も森林はあくまで自然の生態に近づけて行くべきである。そして、森林を破壊する事無く生産が維持され森林と自然が残され乍ら、人々の生活に必要な生産物が得られるのである。

 又、近年の環境問題から森林こそが陸地の環境保全(即ち国土保全、空気の浄化、水源の涵養)の最大の存在であり、世界環境会議の京都議定書に於いても、環境保全のための最も重要な存在である事を世界が認識を深めて居るのである。

 前にも度々書きましたが、森林を失った大国は、土地は疲弊し遂には砂漠化し、人々も気が荒んで戦争やテロが絶えない国となって居る。

 森林こそは、人類や社会、国家にとって大事なものであることを世界の人々が認識する時代になって来て居る。

 人類が、森林を破壊し始めた。のは、現代人の文明が起こり始めた二万年から三万年位の頃で なかろうか。そして、二万年程前から森林破壊が進み、更に数千年前の世界の文明大国の興隆の時代から森林の破壊は、飛躍的に大きくなって来て、更にこの百年から二百年は凄まじい勢いで森林破壊が進んできた。世界環境会議が、これらの破壊をどれだけ食い止める事が出来るだろうか。

 名古屋の愛地球万博でロシアのマンモスが大人気を博して居る。この地球最大の動物は、二万年位前に絶滅して居る。これは現代人類が殺して行ったものである。今より数万年位前には、今の人類と稍違うネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)が絶滅して居る、現在人類は、森の破壊と共に森林の民と云われて居る。ネアンデルタール人をも絶滅に追いやってしまったのではなかろうか。

 今の人類は、二十万年位前アフリカよりユーラシア大陸に渡って来たと、最近の新聞で報じられて居る。すると二十万年位前から五万年位前の十五万年前位の間は、森林と共にネアンデルタール人と共存していたのではなかろうか。

 人類は、五百万年位前にアフリカで猿と分化して進化してきた事は人類学の定説に成って居る。

 更に百万年位前にアフリカからユーラシア大陸に渡って来たと言われている。そしてユーラシア大陸やジャワの様な島々も約十万年位前の人類の化石が発見されている(ジャワ原人、ピテカントロプス、北京原人、シナントロプス)

 しかし、現在人類は、二十万年位前に新たにアフリカに発生し、ユーラシア大陸に渡って来たと今年の新聞に報じられている事を前述した。

 長い年月の間、人類も森林と共に、又他の動植物と共存していたのである。ところが、五万年位前にネアンデルタール人は、前述の如く亡んで居る。そして、マンモスが二万年前位に亡んだことは、前述のとおりである。又、今の人類も五万年位前のを化石人類、又は旧人類 (ホモ・サピエンス・ホーシル)と、その後の今の人類、現在人(ホモ・サピエンス・サピエンス)を変種として 区別して居る。現在人になってから森林を壊し、動物、人類やマンモスを含む、他の生命を奪って行き、共存から排他と破壊の人種と成ったのではなかろうか。

 人類の文明は、森林を破壊するだけでなく、他の動植物、即ち生命をどんどん奪って行って居る。そして、人類同士が戦いにより殺し合って居る。更に、生命のみならず地球を壊して行って居る今日の文明は、善より悪の方が勝っているのではなかろうか。

 この様に現代人類は、罪を作り悪に陥って居るのである。森林を持続し、育成して森林や他の生物と人類が共存しながらその恵みを人々は受けるようにしなければ成らないと思う。

 自然界は、森林も動植物も、そして山や海の自然も善である。そこに神仏が宿る。自然こそは、神であり仏である。

 今の人類は、この尊い場所を傷つけ汚し、壊し、罪と 悪を作り、文明と言う罪を拡大させながら生きて行って居る。

 もし悪と罪を更に積み重ねて行くと現在人類は、やがて滅びる時期が来るのではなかろうか。

「熊野林業」第9号より 『熊野の自然林を復活させる為の方法』 財団法人熊野林業 会長 浦木 清十郎

 昨今、環境問題が叫ばれ、世界的にも温暖化の問題や炭酸ガスの発生吸収が問題となっている。

 この様な時代に森林こそ、その役割を担う大きな存在として、日本は元より世界的に認識が深まって来ている事は、私共、林業に関係する者にとって極めて重要な立場となって来たと云える。

 私は、或る懇談会の要請で、荒らされた山や人工林を自然林に近づけて、環境を守るにはどうすれば良いかを問われ、次の様に申し上げた。

 長い時間を許されるならば、気候温暖で降雨量が多く多湿で未だ土砂も流出されていない日本の山々は、自然のままでも再生が可能であるが、はげ山は元より人工林は特に、杉檜等の一斉単純林では間伐を放置して林分がうっぺいし、林床に光が届かなくなり、草も生えない人工林が増えて、土砂の流出が多くなる。これを防ぐ為にこれらの人工林を適当に間伐を行ない、その疎開された地面に、自然林への回帰の為に広葉樹等複数の樹種が植林される事が望ましく、適正な間伐等についての政府の奨励と補助金等の助成がなされている。

 特に皆伐跡地のはげ山を放置すれば更に土砂の流出が大きく、早く自然林樹種を植樹するか、草や權木の種の散布や植樹によって地肌を緑に覆うことが大切です。

 自然樹種が芽生えると、そこに有用樹種を植樹する等の工夫も必要であるが、有用であっても数十年後に有用であるかは予測できない。何が有用であるかをあまり考えるべきではない。

 更に、自然林で林業経営を行う場合、林業として収入をあげることや収益事業としての経営をどうして行うかも書いた。

 これは、「熊野林業」で多種多様な樹種の自然林の経営については、何度も述べてきた所である。

 林業の経済的予測は困難で、色々なシュミレーションを行ない、将来予測の一般経済予測や学者や技術者の計算が行われているが、私はこの様な人為的予測計算は学問や理論としては面白いが、必ずしも信用しない。

 林業の場合は特にそうである。

 世の移り変わりや、時代の変化、経済の返遷等長期的には、人智では予測できない要素が多すぎて、「この前提であれば」と云う限定された要素の元に予測計算をなされたものは、その前提が崩れると全ては変わってくるのである。

 学問や理論にはこの様な危険性や、たわいない間違いがついてまわるのである。

 それではどうすれば良いか。

 自然こそ全ての手本であり、自然を手本として自然に従うことである。

 山であれば現在云われて居る有用樹に重きを置くのではなく、或いは、今と思われているものに限定することでなく、自然の成育、自然の流れに従って、その中で人智をしぼり、人類に役立つ方法や産物を見つけて行く事である。

 或いは、産物や森林を如何に役立てるか人智をしぼるべきである。

 そして、その自然を壊し、傷つけないで、その自然の中から私共はその資源や産物を利用させて戴く方法を学ぶのである。

 それは、一般の材木業や林業家には物足りないかも知れないが、自然を傷めないで、その資源や産物と、そこから私共が有用とされるものを見つけ、有用となる様に工夫し、知慧を絞るのである。

 人々が自分の目的を決めて、自然を自分に近づけることではなく、自然に従い、自然を大切にし、その中で私共が如何に人類に役立つ様に利用するべきかに知慧と努力を傾ける事であり、学問や技術も又そうであるべきであります。

 今の人類の文明は、人間の欲と好みが先に立って文明が進展している。

 自然を壊してしまえば、元も子もなくなるのである。

 この発想や今日迄の行き方を改めなくてはならない。

 自然を壊してしまって人類の生存が可能であろうか。

 自然こそ人間の親であることを忘れてはならない。

「熊野林業」第10号より 『人類の発展と地球環境』 財団法人熊野林業 会長 浦木清十郎

 地球は、炭酸ガスが増加し、人類の生存をも脅かされてきて居ることは各国で認識されて居る。

 その削減については、我が国始め世界の先進国の間で提唱されて居るが未だ合意には至っていない。

 この炭酸ガスの削減については、その発生を抑えると共に炭酸ガスを吸収することを目的とするものである。炭酸ガスを吸収させるものは、海と地上の緑であり、山林が尊ばれてきている事は、世界的に認識が深まり広がって居る。その対策推進が先進国ではエコ(エコロジー・ecology)という言葉で、政府や民間も取り組むことへの意欲と実践に踏み出して居る。

 人類は、現代この炭酸ガスを必要以上に発生し、自然のバランスを崩して居る事に気付いたのである。人類が、この傾向が酷くなり漸くその驚異に気付きだしたのはそう遠くない。学者は、かなり以前から警告していたが、政府や世論が取り上げ出したのは近年である。特にこの事に大きな警告を発したのは、アメリカのクリントン大統領時の 副大統領であったゴア氏である。(彼はそれでノーベル平和賞を受賞している。)

 生物(動物) は、酸素を吸収し、炭酸ガスを排出する。植物は、日光の差す間は炭酸ガスを吸収し栄養源にして酸素を排出する。この営みは、何億年の間(生命は四十億年前頃芽ばえたと言われる。)続けられ、大自然はこのバ ランスが保たれ生命が成長し発展した。人類(現在人類・学名ホモサピエンス)が出てきて(二十万年位前) もう一つの人種ネアンデルタール人(学名ホモネアンデルターシス)と共存したが五万年位前に今の人類ホモサピエンスサピエンス(サピエンスの変種)がネアンデルタール人を絶滅に追いやった。一万年位前から 農耕文明が起こり森林を壊し農耕地を広めた。そして、炭酸ガスの吸収と酸素の発生が徐々に減らされ、炭酸ガスの発生が酸素の発生を上回ると言う事が顕著になり、自然のバランスが崩れるきっかけとなって居る。 炭酸ガスの発生は、落雷や自然発火による山火事、火山その他自然の中でも発生して居り、それによって一時的に自然のバランスが崩れることはあっても、このアンバランスは、数年又は長期に亘って復元して行く。人類が自然発生や火山等の現象から火を捉えたのは百万年以内七、八十万年位前かと言われて居る。数十万年前に生存した北京原人(シナントロプスペキネンシス)は、既に火を用いて居たと言われて居る。しかし、これらの人類が火の使用により発生する炭酸ガスは、自然発火や火山等による森林火災に比べれば未だ微々たるものであった。人類は、炭酸ガスの発生による自然破壊は、一万年位前の農耕文明の発生が端緒ではないかと思われる。中国や中央アジア(エジプトからイスラエル、イラン、イラク、アフガニスタン)では、数千年前より巨大王国が形成され、農業生産の急拡大と巨大建造物が造られて行き、又、紛争や戦争によって自然を壊して行った。

 西洋ではエジプトからイスラエル、イラク、イランのナイル川からチグリス、ユーフラテス川等の大河川の下流域が西洋文明の発生の地域と言われ、中国では長江や黄河の流域に中国文明が発生した。これらの地方では、森林破壊が顕著になった。中でも西洋は、中国より一層森林が破壊され次第に砂漠化して行った。人類文明は、自然破壊、特に森林破壊と共に発展して居るが、これは西欧に於いて一層顕著であったと考えられるのである。

 自然破壊は、今より一万年位前から一千年位前までの自然破壊に比べ、一千年前よりこちらの期間、即ち十分の一の期間の方が遙かに自然破壊が凄まじく、炭酸ガスの発生が二万年間を上回ることになったのではなかろうか。

 そして、更にこの現在の百年の間のそれは、この過去一千年の自然破壊と炭酸ガスの発生を上回って居ると推察される。千年の間に伐採された山林より、更に上回る森林が破壊され、更にこの百年位の間に一万年掛かって破壊されたトータルより以上の森林破壊がなされ、炭酸ガスの発生が急速に大きくなって居ると思われる。即ち、森林破壊と炭素発生量は幾何級数的に増大して居るのでなかろうか。物質文明の夢とも言われる構築物の拡大と運搬手段の自動車、電車、船や飛行機の発達とそのスピード化が、更にエネルギー消費の拡大に拍車を掛けて居る。そのエネルギー源である火力発電や車や工場の直接の石油消費も大きい。

 人類は、より多くの物質とエネルギー消費を求め、物質と技術の向上による、より物的技術的快適生活の増大を願っており、更に自然のバランスを壊す方向に走って居る。現在、文明国では、既に述べて来た様に地球温暖化防止が叫ばれて居り、政府では、炭酸ガスが発生しないエネルギー、太陽光や原子力エネルギーに転換することを推奨する政策を急に取りつつある。しかし、原子力は、確かに炭酸ガスを発生しないが、果たしてこれは、人類救済の救世主なのであろうか。 もし、原子力により莫大なエネルギーが安価に取り出せる様になり、更にコストが下がることによって人類の欲望が更に増大して行けば一体どうなるであろうか。寧ろ空恐ろしいと思われるのである。そして人間の欲望が際限なく続けばやがては、地球は破滅に陥る。

 お釈迦様は、欲こそ人間の業であり悪 であると仰せられて 居る。西洋の神は、知恵の実を食って人間は悪に陥ったと言われて居る。沸教では、欲を捨て人に施しをする。自然万物に施しをする。物質を求めるのではなく 自然を大切にし、自然を愛してこそ真の幸を得るのではないだろうか。太平洋を囲む島々、即ち、ハワイからポリネシア、ミクロネシア、インドシナ、フィリピン、日本を連ねる太平洋の島々の国、所謂島礁民族は、自然を尊び大切にし、自然こそは神であると尊んできた。ハワイの原住民は、自然を尊ぶ中で水を最高の神と崇めて居る。我が国も太陽の神、山の神、水の神、八百万之神を生み育てて来てくれた御先祖様と共に大自然を御神仏として崇め尊んできた。そして、我々の先祖は、花鳥風月を楽しみ、慈しみ、そこに美しさと喜びを見出している。即ち山水の自然の中に、心の癒し、美しさと喜びと幸福があるのではなかろうか。大陸の民は、自然が無限に広がると錯覚し、自国の自然の資源を取り尽くし、それが無くなると近隣を侵略してそこから奪い、更にそれを拡大して行く。そうすると近隣とは絶えず齟齬を生み戦争が絶えなくなったのが西洋の国の歴史ではなかろうか。

 我々人類は、この傾向を無くすることが出来るのか、人類がこの事を心に刻み、前記の様な欲望と罪、破壊と争いの罪と運命から逃れられるのであろうか。悪が勝つか善が勝つか、今後の人類の大きな課題であり、岐路である。

「熊野林業」第11号より 『大震災を乗り越えて』 財団法人熊野林業 会長 浦木 清十郎

 平成二十三年三月十一日に起こったこの度の東日本大地震及び巨大津波による未曾有の大災害で物故された方のご冥福をお祈りすると共に、救援を待つ多勢の避難民の方々、そして親族・友人・縁故者を失った方々、家屋敷・職場・漁場を失った方々に、只々御鎮魂と、御加護を祈るのみであります。

 又、この度の原発事故は、天災と共に大きな人災でもあり、人類が長い間犯して来た欲望(金、物、エネルギー)の象徴とも言える人類の大きな罪の産物ではないだろうか。科学や人間の知恵を欲と自己利益と身勝手のために間違った方向に利用して来た大きな罪の産物ともいえる。長い間に亘って人類が犯して来た罪、すなわち自然を壊し、そこから得た人間の欲望を満たす物と金とエネルギー、そして、科学や人間の知恵を欲望と自己利益の実現の為にまげられて発展してきた結果であり、人類の罪が実現したとも言えましょう。そして最後にたどりついた原子力の莫大なエネルギーの利用、これは人類の尽きることのない恐ろしい悪の象徴ではないだろうか。


 本来日本人は、長い歴史の中で贅沢を慎み、自然を尊び花鳥風月を愛し、そこに心の安らぎと幸せを求めて来ました。この素晴らしい日本人の性格が明治以後、西洋の物質文明の風潮に変わり、金と物、そしてエネルギーの消費を求めるようになり、日本人が長い間培ってきた尊い心が次第に忘れられていったのではないだろうか。


 昭和二十年の敗戦の後、日本は世界の奇跡と言われる復興を遂げた。しかし、これは物と金とエネルギーという物質的な発展であり、心の復興と成長ではありません。心はかえってさもしくなっていったのではなかろうか。そして日本人の道徳、思いやりと慈愛の精神、また父母家族を大切にし、兄弟相和し、隣人愛や助け合いの心、そして自然を愛し大切にするという素晴らしい日本人の本来の姿からは次第に遠ざかっていった。更に金と物とエネルギーの消費で経済の価値を計る、このことが間違った人の幸せの尺度へと進行していったのであろう。


 昭和の初めより次第に軍国的な風潮となり、やがて戦争が始まり、軍事力強化のため物の生産が優先され、これが戦争後も引き続き集中的な大量生産を政治家や官僚、大企業が進めてきたものが経済優先主義である。このようなエネルギーの大量消費によって、大気や水質の汚染などにより自然がむしばまれ国土が破壊されていった。この度の大震災、大津波による原子力発電所の事故は、これら一連の結果と言える。


 今度の原子力発電所の災いは、庶民のためのエネルギーではなく政治家や官僚の要望であり、国家の方向が物欲のために高じた象徴ではなかろうか。人類は、身勝手な欲のために必要以上の物とエネルギーを求め費やし、競争し、対立し、紛争を起こし、ついには戦争をする。其のための費用、そして、戦いのための軍事力の拡大は、ウナギ登りに上がり止まることを知らない。


 人類は、数百万年程前に猿の種族から分かれ、人として進化して来た。五十万年位前には、自ら火を熾すことを覚えた。数万年前には人間は自然を壊すほどではなかったが、故郷であり、母である森林に火を点けて森を焼き、欲望のために自然を破壊し始めた。これを文化とも文明とも言うが、自己の都合のために利用して罪を犯すことになった始まりではないだろうか。そして、数千年前にはこの自然破壊が更に大きくなり贅沢を求めて、必要以上に大量の農地を拡大していき、隣国と対立し、隣国を滅ぼしては巨大な城・宮殿・館・集会場を建造し、さらにそれを拡大していった。そして勝った方は負けた方の人達を奴隷として自己の戦力(兵士)や労働の使役に使った。これらの恐ろしい人類の行為は、欲が生みだした悪魔の行為ともいえる。今紛争中のエジプト、リビア、アラブ諸国が古代数千年前よりまさにこの中心となって居た。


 この度の日本の大震災、大津波による大災害は、もとをただせばこのような人間の大きな物欲の結果とも言えるのではないだろうか。日本では明治の後半にも三陸沖で大地震と大津波があった。その時も津波の高さが三十数メートルまで上がったと報じられて居る。しかし、今程大きな被害はなかった。勿論当時の人口は少なかったが、この度は何故これほどまで大きな被害が出てしまったのであろうか。


 それは明治以後、そしてとりわけ昭和の戦争の後、物欲のために物と金とエネルギーの大量消費を求め、人口増大を計る政策がなされ、より儲かる所に人が集まり人口増大と集中を奨励した。政府と官僚と大企業が前述の大量生産と人口増大を目指す集中的な企画生産方式を指導し、政府資金と税金を集中的に注ぎ込んでいった。農業も漁業も工場も規格大量生産を目指す所に政府資金が流れ、一層の政府援助を受け、その結果そこに工場が密集し人々が集まっていった。また港や農地は整備され、漁業も農業も盛んになり人々も集中する様になった。其のため少ない平地に町は密集し、工場が集まり、小さい場所では更に密集し、儲かる所に人々は集まっていった。この度の大きな被災は、この企画生産方式による集中主義の所産ではないだろうか。そして前述の様に、人口が集中化することによって大きな被害となっていったといえる。とりわけ原子力発電は、この経済生産集中主義の最大の象徴と言えるものである。


 この度の大災害は、正に御神佛の警告である。このことを冷静に受け止め、日本人の長い間培われて来た素晴らしい心、すなわち「自然と共に生きる」というこの日本人の本来の姿に戻るべきではないだろうか。緑を大切にし、森を大切にし、日本人が長い歴史の中で崇め奉って来た鎮守の森を大切にすること、そして、そこに鎮まる御神佛に身も心も帰ることが大切であるということを御神佛が警告して居るのではないだろうか。


 今から一四五年前アルフレッド・ノーベルが一八六六年ニトログリセリンと混ぜると大きな爆発が起こり、岩や構造物を爆破させるダイナマイトを発明した。これが売れて莫大な富を築いた。そしてこれが、現在のノーベル賞の基金となっている。このことは素晴らしい発明であったが、自然を破壊し、爆薬として爆弾に入れて人類を殺傷する兵器となった。化学反応によるエネルギーで自然を破壊し、人を殺す大きな力を人間は手にした。


 今から一一三年前、フランス人キュリー夫妻は、ラジウムが放射能と言うエネルギーを出して次第に原子が崩壊して行く状況を研究し、ノーベル賞を貰った。これが原子エネルギーの発見であり、原子爆弾の原理である。その後、さらに原子の分裂によるエネルギーの研究が進み、この巨大なエネルギーを取り出すことを実用化した。これが原子爆弾である。今迄の化学変化のエネルギーとは桁違いの莫大なエネルギーを人間は手に入れた。そして、巨大なこの原子力を兵器として実用化し、最初に用いられたのが広島・長崎に投下された原子爆弾であった。この巨大な原子エネルギーを大量殺人兵器として用いてしまったのである。この度の原子力発電所の事故も、神は人類に大きな警告をして居るのではないだろうか。


 御皇室は、宮中の覧所に於いて恐れ多くも、毎日祖神天照皇大御神、八百万之神々に御祈願をされておられる。これら天皇の祭祀に関しては、国民に知らされていない。宮中でみそぎを行う天皇の尊い姿を、何故国民に知らせないのだろうか。そして、天皇陛下をはじめ御皇室の方々の日常生活は極めて質素にされて居る。と言うより自由になるお金も財産も持たないのである。つまり御皇室には私有財産は全くなく、西欧の王族、特にイスラムの王族とは大きく異なる。宮内庁はこのことを国民から遠ざけ、国民には知らされていないのである。何と言うことであろうか。この天皇の祭祀こそ国民は、全国の氏神様に国を挙げてお祭りすべきでなかろうか。


 天皇皇后両陛下が一般の方と一緒に行う行事として春の植樹祭があり、秋には皇太子殿下は妃殿下と共に育樹祭が行われる。自然を大切にし、森を大切にするこの尊い行事を国民と一緒になされる。御皇室は、自然を愛し自然を尊び、自然と共に生きて居る。この尊い御皇室の姿こそ正に日本人の象徴であり、模範であり、日本の代表であり日本そのものである。天皇の祭祀は、全て国民と共に行い、世界の人々に知らせるべきことなのである。このことができて始めて日本の真の姿が世界に示され、世界にも稀な尊い日本の姿が伝わってゆくのではないだろうか。そして世界の人々の大きな共感を呼び、尊ばれる国として、また尊敬される国として、世界の手本となる国が生まれるのではないだろうか。

 

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