地球は、炭酸ガスが増加し、人類の生存をも脅かされてきて居ることは各国で認識されて居る。
その削減については、我が国始め世界の先進国の間で提唱されて居るが未だ合意には至っていない。
この炭酸ガスの削減については、その発生を抑えると共に炭酸ガスを吸収することを目的とするものである。炭酸ガスを吸収させるものは、海と地上の緑であり、山林が尊ばれてきている事は、世界的に認識が深まり広がって居る。その対策推進が先進国ではエコ(エコロジー・ecology)という言葉で、政府や民間も取り組むことへの意欲と実践に踏み出して居る。
人類は、現代この炭酸ガスを必要以上に発生し、自然のバランスを崩して居る事に気付いたのである。人類が、この傾向が酷くなり漸くその驚異に気付きだしたのはそう遠くない。学者は、かなり以前から警告していたが、政府や世論が取り上げ出したのは近年である。特にこの事に大きな警告を発したのは、アメリカのクリントン大統領時の 副大統領であったゴア氏である。(彼はそれでノーベル平和賞を受賞している。)
生物(動物) は、酸素を吸収し、炭酸ガスを排出する。植物は、日光の差す間は炭酸ガスを吸収し栄養源にして酸素を排出する。この営みは、何億年の間(生命は四十億年前頃芽ばえたと言われる。)続けられ、大自然はこのバ ランスが保たれ生命が成長し発展した。人類(現在人類・学名ホモサピエンス)が出てきて(二十万年位前) もう一つの人種ネアンデルタール人(学名ホモネアンデルターシス)と共存したが五万年位前に今の人類ホモサピエンスサピエンス(サピエンスの変種)がネアンデルタール人を絶滅に追いやった。一万年位前から 農耕文明が起こり森林を壊し農耕地を広めた。そして、炭酸ガスの吸収と酸素の発生が徐々に減らされ、炭酸ガスの発生が酸素の発生を上回ると言う事が顕著になり、自然のバランスが崩れるきっかけとなって居る。 炭酸ガスの発生は、落雷や自然発火による山火事、火山その他自然の中でも発生して居り、それによって一時的に自然のバランスが崩れることはあっても、このアンバランスは、数年又は長期に亘って復元して行く。人類が自然発生や火山等の現象から火を捉えたのは百万年以内七、八十万年位前かと言われて居る。数十万年前に生存した北京原人(シナントロプスペキネンシス)は、既に火を用いて居たと言われて居る。しかし、これらの人類が火の使用により発生する炭酸ガスは、自然発火や火山等による森林火災に比べれば未だ微々たるものであった。人類は、炭酸ガスの発生による自然破壊は、一万年位前の農耕文明の発生が端緒ではないかと思われる。中国や中央アジア(エジプトからイスラエル、イラン、イラク、アフガニスタン)では、数千年前より巨大王国が形成され、農業生産の急拡大と巨大建造物が造られて行き、又、紛争や戦争によって自然を壊して行った。
西洋ではエジプトからイスラエル、イラク、イランのナイル川からチグリス、ユーフラテス川等の大河川の下流域が西洋文明の発生の地域と言われ、中国では長江や黄河の流域に中国文明が発生した。これらの地方では、森林破壊が顕著になった。中でも西洋は、中国より一層森林が破壊され次第に砂漠化して行った。人類文明は、自然破壊、特に森林破壊と共に発展して居るが、これは西欧に於いて一層顕著であったと考えられるのである。
自然破壊は、今より一万年位前から一千年位前までの自然破壊に比べ、一千年前よりこちらの期間、即ち十分の一の期間の方が遙かに自然破壊が凄まじく、炭酸ガスの発生が二万年間を上回ることになったのではなかろうか。
そして、更にこの現在の百年の間のそれは、この過去一千年の自然破壊と炭酸ガスの発生を上回って居ると推察される。千年の間に伐採された山林より、更に上回る森林が破壊され、更にこの百年位の間に一万年掛かって破壊されたトータルより以上の森林破壊がなされ、炭酸ガスの発生が急速に大きくなって居ると思われる。即ち、森林破壊と炭素発生量は幾何級数的に増大して居るのでなかろうか。物質文明の夢とも言われる構築物の拡大と運搬手段の自動車、電車、船や飛行機の発達とそのスピード化が、更にエネルギー消費の拡大に拍車を掛けて居る。そのエネルギー源である火力発電や車や工場の直接の石油消費も大きい。
人類は、より多くの物質とエネルギー消費を求め、物質と技術の向上による、より物的技術的快適生活の増大を願っており、更に自然のバランスを壊す方向に走って居る。現在、文明国では、既に述べて来た様に地球温暖化防止が叫ばれて居り、政府では、炭酸ガスが発生しないエネルギー、太陽光や原子力エネルギーに転換することを推奨する政策を急に取りつつある。しかし、原子力は、確かに炭酸ガスを発生しないが、果たしてこれは、人類救済の救世主なのであろうか。 もし、原子力により莫大なエネルギーが安価に取り出せる様になり、更にコストが下がることによって人類の欲望が更に増大して行けば一体どうなるであろうか。寧ろ空恐ろしいと思われるのである。そして人間の欲望が際限なく続けばやがては、地球は破滅に陥る。
お釈迦様は、欲こそ人間の業であり悪 であると仰せられて 居る。西洋の神は、知恵の実を食って人間は悪に陥ったと言われて居る。沸教では、欲を捨て人に施しをする。自然万物に施しをする。物質を求めるのではなく 自然を大切にし、自然を愛してこそ真の幸を得るのではないだろうか。太平洋を囲む島々、即ち、ハワイからポリネシア、ミクロネシア、インドシナ、フィリピン、日本を連ねる太平洋の島々の国、所謂島礁民族は、自然を尊び大切にし、自然こそは神であると尊んできた。ハワイの原住民は、自然を尊ぶ中で水を最高の神と崇めて居る。我が国も太陽の神、山の神、水の神、八百万之神を生み育てて来てくれた御先祖様と共に大自然を御神仏として崇め尊んできた。そして、我々の先祖は、花鳥風月を楽しみ、慈しみ、そこに美しさと喜びを見出している。即ち山水の自然の中に、心の癒し、美しさと喜びと幸福があるのではなかろうか。大陸の民は、自然が無限に広がると錯覚し、自国の自然の資源を取り尽くし、それが無くなると近隣を侵略してそこから奪い、更にそれを拡大して行く。そうすると近隣とは絶えず齟齬を生み戦争が絶えなくなったのが西洋の国の歴史ではなかろうか。
我々人類は、この傾向を無くすることが出来るのか、人類がこの事を心に刻み、前記の様な欲望と罪、破壊と争いの罪と運命から逃れられるのであろうか。悪が勝つか善が勝つか、今後の人類の大きな課題であり、岐路である。