はじめに
近年複層林施業が施策として取り上げられ、積極的に推進されようとしているが、その進め方には問題点も少なくはなく今後の結果が危惧される。勿論、複層林施業、非皆伐施業を目指す方向は基本的に正しく、この方向以外に、林業の将来展望は開けないであろう。
今日、日本の林業は正に危機に瀕しているが、この事態に至った原因の大きなものとして、戦後に進められた過去の拡大造林と短伐期政策が挙げられると思うので、まず、これについて述べてみたい。
拡大造林と短伐期林業
生産業としての林業の対象地となり得るのは、相応の地位と地利に恵まれた場所に限られる。山であれば何処でも生産業としての林業が営めるものではない。投入額をも下廻る産出額の場所にまで対象地を拡げれば、いたずらにマイナスを増大させるに過ぎない。このような場所に少なくとも積極的施業を進めてはならない。
わが国の現状で、人工造林を行って良い面積は、全山林面積の二~三割程度ではなかろうか。勿論、この割合は諸条件により変動する。例えば労賃の高騰や材価の低下により減少し、路網が整備されれば増大するが、現状ではこの程度ではないかと言うことである。それに比べて、各地域の人工化率の目標は勿論のこと、現状でもすでに大に過ぎるのではなかろうか。不適地への造林例は随所に見られ、特に高海抜地、高緯度地域など低生産地に多い。例えば、北海道では樹種の関係もあって、造林可能地域は南部のスギ地帯に限定される。エゾマツ、トドマツでは造林経費の負担に堪え得ないからである。
林業における経費の大部分は、森林造成に関わるものである。しかも、初期十数年の間の経費である。即ち、地拵えに始まり、植付(含苗木代)、下刈、つる切り、除伐である。その後、間伐、枝打ちの等の経費もあるが、間伐費はその都度の収入で経理することとし、枝打ちは生産材の質を高め、価値生産を高めるための任意の作業として除外すれば、必須の経費は前述のようになる。
林業の支出を減少させるためには、不適地への造林地拡大を止めることは勿論のこと、適地でも造林の頻度を減少するか、出来ればしないことである。造林の必要は皆伐によって生ずる。ここに非皆伐施業への転換を奨める理由の一つがある。また、皆伐施業をとる場合でも、出来るだけ伐期を長くすることである。林業での投入額を森林造成の費用のみとするなら、伐期を二倍、三倍にすれば、大雑把には、年当たり経費が二分の一、三分の一となろう。なお、この際金利計算はしない。貨幣価値が当然変動するような長期にわたる金利計算の無意味さばかりでなく、通常の林業経費では、その継続性から造林費は前回の主伐収入から支出すべきものと考えるからである。
このように、短伐期林業は経費、労力の多投林業であると同時に、低質材生産林業でもある。四〇年の材と百年の材は当然異質の商品であり、価格差も大きい。伐期の長短は量的生産はともかく、価値生産の差は大きい。短伐期林業は低価値生産林業なのである。
わが国の林業は、伐期の短期化に伴う経費増大、収入の低減等により、収支のバランスを崩して、遂に、今日の厳しい状況を迎えるに至った。
皆伐施業と法正林
皆伐は既存の森林を無くすという意味で、最大の森林破壊行為に他ならない。林業は森林の存在を前提とする。森林が無ければ生産もその他の諸機能も無い。したがって、皆伐は最も林業に馴染まない行為としなければならないと考える。なお、皆伐を前提とする作業を進めるに当たり、森林の部分、部分は年々伐採されるとしても全体的にみれば恒存すると言う。しかし、部分といえども皆伐されない方がよいと共に、教科書的法正林施業が実現困難なものであることは、数十年来強調されながら、未だその実現した例を見ないことでも知られる。特にほぼ三〇年毎に相続の起こる民有林では、実現不能であろう。
法正林を教科書的な形のみに限るのは当を得ない。法正林は「何時でも収穫出来、しかもそれが永続する林」と解するのが妥当であろう。それが林業経営にとって、極く当たり前の林だからである。
択伐林は小規模所有でも実現可能な完全な法正林であるし、多層の複層施業も同様であり、皆伐施業であっても、充分に長い伐期をとり、繰り返す間伐収穫の累積を主収穫と考える施業で、複数の林分をもてばこれも一種の法正林施業であろう。
重ねて言うが、林業では、その業の本質からして、逐次収穫すべきもので、一斉収穫する必然はない。林木は一定の成熟期をもたず或る時期以降長く成熟期であるし、一般に高齢になる程成熟の度合が高まり、材の品質も価値も高まる。したがって伐期という概念は、林業にとって本質的には不要なものである。強いて言えば、各個体について結果としてあるのであって、林分にはない。
また、極く普通に言われる生産の長期性ということも、皆伐一斉林施業の属性であって林業本来のものではない。長期性を言うならば、森林(=経営の基盤)造成について言われるべきであろう。一応の森林の完成には四〇~五〇年の長期間を要し、それをまって、真の経営期が始まると考えられるからである。
森林生産は森林を構成する個々の木が生長することで行われる。したがって、森林が生産の施設であり、増加分が果実である。森林を経営し、生産物としての部分を逐次収穫し続けるのが、真の林業の在り方ではないか。
皆伐施業は土地を生産基盤と考え、そこに植えて、育てて、一斉収穫することを繰り返す。森林の造成過程が生産過程であり、森林を過去の生産物の集積、単なる物の集積と見るのである。このように、皆伐施業は本質的に農業と何ら変わらない性格のもので非林業的施業と言わなければならない。
したがって、これからの林業は皆伐を止め、森林の造成に励むものではないか。即ち、皆伐施業から非皆伐施業へ、一斉林施業から複層林施業への転換である。これはより林業の本質に近づく道であり、したがって、今日の窮状からも脱する道であろう。
複層林施業
近年、複層林施業が国の施策としても取り上げられ、推進 されようとしていることは大変喜ばしいことである。世の中は日々進歩する。二○年近く前に、非皆伐施業、複層林施業の奨めを提唱し始めた頃には、異端視され問題にもされなかったことを考えると隔世の感がある。
複層林施業を行う上で最も大切であり、且つ難しいのは発想の転換である。このことは従来慣れ親しんできたであろう皆伐施業の物の見方、考え方から脱脚することである。
しかし、このことが意外に難しいという事実は、ここ十数年来いやという程痛感させられて来た。研究者はじめ、行政、普及に携わる人、施業の実施にあたる人々の多くが、皆伐施業の発想で複層林施業を見ており真の理解者は極く少ないのが現状であろう。
複層林施業に対する真の理解を欠くまま施業が進められれば、似て非なる施業となり、利点より弊害の方が多くなることを恐れるのである。
現状で広く推進されるべきは、長伐期施業への移行であろう。これならば、さしたる障害もない。越し難い程の発想の転換も当面必要がない。長伐期施業の段階を経て、複層林施業へ進むのが妥当であろう。皆伐施業も長い伐期をとれば、皆伐の弊害は極く小さくなり、森林造成期後の相当長い森林経営期を伴うことにより、一種の森林経営ともなるのである。
複層林化への第一歩となる二段林の上層の扱いは、長伐期施業のものと何ら異なるところはない。長伐期施業へ移行し、下層に更新すれば直ちに二段林施業となる。長伐期施業によって正しい複層林施業の技術的基礎も養われることになる。
重ねて強調するが、複層林施業の難しさは発想の全面的転換という一点にあり、技術的難しさはない。
複層林施業の理解の一助となればと思い、両施業の考え方や、諸作業の違いの主なものを表示した。
表を見てもわかるように、皆伐施業と複層林施業では、随所で対象的に異なる。
複層林施業は既に在る森林を更新回転させること、即ち、伐・植を加えることにより、森林の恒常存置をはかる(=森林を経営する)施業であり、皆伐施業は土地の上に、森林の造成とその取り壊しを繰り返す営みである。
収穫・更新は、皆伐林施業では、長周期で間断的に一斉に行われるが、複層林施業では、短周期で連続的に逐次行われる。
皆伐施業では、造林の当初には生産の担い手は無い。植えた稚樹を早く担い手に育てることが必要で、一般に生長を促進することが目的にかなう一方、複層林では生産の担い手は上層であって常に在る。下層に更新した稚樹は、将来の森林の保続のために補充した材料に過ぎない。現在の生産の担い手に、最大の生産をさせることが第一義的に大切で、下層の生長は上層の取り扱いに伴う結果としてのみある。下層を育てることは目的ではなく、下層に対する配慮は枯死しないことだけで充分である。若し枯らせば植えたことの意味を失うからである。
場所を特定すれば単位面積に与えられる光のエネルギーは一定である。上層が充分に活用すれば、下層への配分は当然少なくなり生長は遅くなる。複層林の下層はむしろ生長の遅いことが望ましい。この点は特に重要で、林内更新した稚樹の生長が気になる人には、複層林化は奨められない。下層の生長の良いことを望めば、必ず上層の伐採を進めて、一番大切な現在の森林の生産を減らすことになる。
私が「更新稚樹が忘れられる人だけが林内更新をしてよい」と何時も言っているのはこのためである。また、複層林施業では「原則として下刈りを行わない」と言うのも同様の意味であり、刈らなければならぬ程に下草が繁茂するのは、上層の生産減の証拠だからである。
林内更新は、一般には、空けて植えるのではなく、空いたから植え込むのである。森林の正当な扱いの結果、林床に稚樹が生存できるだけの光があれば、直ちに植え込むのである。上層が使い余した光の有効利用と空間利用のためである。
したがって、林内更新をして複層林化を始める林齢は、必然的にかなり高くなり、高齢林程易しい。一般には少なくとも、いわゆる伐期を過ぎた林分と考えるのが妥当であろう。二〇年生や三〇年生の林では、通常その必然性がない。上層木が未成熟なまま伐られるという不合理と共に、林内の明るさの変化も早く技術的にも難しい。最も適当なのは六○~七〇年生であろう。
従来の一斉林における本数密度管理は、一般に若齢林において疎に過ぎ、壮齢林以降密に過ぎる。この結果、芯が目荒で辺材で無用に密な、年齢幅の揃わない材を生産することになる。
材の年齢構成は、材質に関係し材価に大きく影響する。密度管理は、主として、生産材の年輪構成を管理する技術としての観点から、再検討されなければならない。
そもそも、林業技術は、量の生産よりは生産材の質に関わる技術としなければならない。林業の生産はその自然性の故に、量は自然要因に支配され人間の力は及ばない。生産材の質に関する技術こそが主体でなければならない。
林内更新の植付本数についても、皆伐施業の場合とは異なる。一般にはるかに少なく、どの様な条件でもha当たり二千本を超えることは無い。しかも、厳密に何本でなければならぬこともなく、適宜とも言える。皆伐施業での植付は数十年に一回であることと、鬱閉が水平的にはかられるために、多くの本数を必要とするが、複層林では、植込みはしばしば行われるし、鬱開は垂直的であるから、少ない本数で足りる。複層林化が進めば、上層の伐採本数の三倍乃至二○倍を補えばよい。また、複層林では、林冠層の多少にかかわらず、各層のみをとれば各立木は孤立常態に保つ、ということも配慮すべきである。
昨今の複層林施業に関する普及指導、その基礎となっている研究にも、見当外れと思われることが少なくはなく、実行を担う林業現場にも、複層林施業を正しく進める態勢はないように思われる。
それはすべて皆伐施業の発想で、複層林を見ているためである。
複層林の中でも最も単純な二段林施業が、最も技術的に容易と考えるのも間違いであり、林冠層が複雑なほど易しい。二段林の上層を一斉に伐採できると考えるのは幻想であり、非常に危険なことである。また、短期二段林などというのは、完全に皆伐施業の系列に属する施業であろう。
研究についても、林内照度やそれに伴う稚樹の生長、耐陰性等に関わる課題から脱して、目を上層の扱いに転じなければならない。しかも、量よりは生産材の質に関わる研究に重点を移すべきで、また、複層林施業では生長量の予測といったことも無用となる。
おわりに
以上述べて来たように、現状は広く複層林施業を進めて良い段階にはないように思われる。当面は多間伐長伐期施業への移行を促し、それを経て複層林施業へ進むことが妥当ではなかろうか。
勿論、すでに良く理解している経営者は、直ちに複層林化を進めるべきであり、それが大変結構なことであるのは言うまでもない。今後、そのような経営者がより早くふえることを切望している。
(元森林総合研究所東北支所長)