「熊野林業」第2号

記事の掲載について

公益財団法人熊野林業が発行する機関誌『熊野林業』について

第2号の記事(青字)をこちらに掲載しています

※記事内容や執筆者肩書につきましては発行時のものとなりますのでご了承ください



『熊野林業』を無料で配布しています

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番号 題名 執筆者
1 日本と熊野林業の将来 東京大学 名誉教授 嶺 一三
2 常識と非常識 東京大学 名誉教授 平田 種男
3 複層林施業についての危惧と提言 理事 早稲田 収
4 自然と技術に関する書生論 東京大学 教授 箕輪 光博
5 スウェーデンの林業事情 京都大学 教授 神崎 康一
6 林業経営と路網 大阪府指導林家 大橋 慶三郎
7 出会い 清光林業株式会社 社長 岡橋 清元
8 熊野なすび伐り考 林業経営者 尾中 鋼治
9 熊野林業の経緯と天然型林業への道 理事 浦木 清十郎
10 「第二回林業研修会」報告 財団事務局
11 非皆伐施業参考林分 財団事務局
12 作業道作設の参考資料 財団事務局

1 日本と熊野林業の将来 東京大学名誉教授 農学博士 嶺 一三

 熊野林業研究所の機関誌第二号の寄稿を求められた。

 

 たまたま私は一月二五日に東大林学科卒業生の卒業五○周年の同級会に招かれて、日本の林業の将来に就いて私の見解を求められた。

 

 この級は終戦直後の卒業で、東大では林学科、林産学科が別れていなかったから、後の林野庁部長、営林局長、木材やパルプ会社社長、役員、中には木製飛行機の製作に関係して折角完成したのに、終戦時に政府の命令で現物も資料も焼却させられて、目下復元を志して苦労している人もある。

 

 その人達から日本林業の将来をどう考えるか、私の見解を聞かれた。

 

 それに対する私の答えを熊野林業と合わせて述べたいと思う。

 

 一言にして述ぶれば私には不可能と答えざるを得ないが、いささかでもその理由と私の見透しを述べてみたい。

 

 現在では、国内の森林は細かいメッシュ毎に地形、方位、土性などが精密に調査記載されているが、それが変化しない保証はない。

 

 林木の生長に重大な関係する気象条件である雨量(台風の進路や風向なども)は、全く予測できない。従って生長の正確な予測は不可能であると言わなければならない。

 

 更に外国からの輸入は、それぞれの国の政府の方針や経済の変化(それは予測できない)によって大幅に動く要因である。

 

 それでは、需給の予測はやらなくてよいかというと、政府としてそれは無責任であると責められるであろう。

 

 私は政府の林政審議会(浦木熊野林業研究所会長が現職である)や中央森林審議会の委員を何回か勤めたことがあるが、諮問に対して答申したことが、中途の五年目で大幅に修正をしなければならない事態になったことがいつもの常態であった。

 

 しかしながら、熊野林業研究所の役員は、経験の富な地元の林業家であるから、極めて適切妥当な提案が各所になされていて、甚だ心強い。

 

 ここに比較するのは恐縮であるが、土井林学振興会は、地元の尾鷲地方の方が役員になって居られないので、地元の林業振興に貢献することが少ないと批判する外部の方があるのと対比して、この研究所は熊野地方だけに止まらず、日本全体の林業の発展にも役立つと信ずる。

 

 熊野林業研究所の運営の中心となって居られる早稲田収氏は、浦木林業は昭和四十五年以降、原則として、一切の皆伐を止め、非皆伐作業に移行したと述べ収穫は全て単木選伐により、皆伐は行わないので必然的に造林は行われない。従って造林費も零になり既往造林地の下刈等の保育経費も漸減しやがて無くなり支出は大幅に低減した。収穫は抜き伐り収穫のため、伐木造搬出費の立法米当たり単価は増大するが、伐出材の平均単価も上昇するのでさほど不利にならない、このような非皆伐施業移行に伴う諸問題、個別の技術問題等に関する解明された成果の紹介や施業林、試験林などの非皆伐施業林の展示により、非皆伐施業の近隣への普及ひいては日本の林業への寄与を目指す。これが当研究所の目標であり今後は自らの研究成果をも併せて、日本林業の改革、改善に資することを願うものである。又林業では路網の整備が必須であるが、特に非皆伐施業では、少量しばしばの伐出が必要になるため道の整備が特に重要である。熊野は地形急峻で道の作設が難しく、又林道は低コストが要件であるが、すでにこのような作業道作設の実績を持っているので、今後更に検討を進め、実績を積み重ねて普及に努めたい。これも目標の重点の一つである。

 

 このような当面確立と普及をはかろうとしている施業技術は、決して目新しい新技術ではなく、言うならば近代的、合理的「熊野のなすび伐り」の復活なのである。

 

 以上長々と早稲田収理事の説明を引用した理由は、私が希望する事がその儘述べられているからである。

 

 ただ異論の点は、造林経費は零となり、既往造林地の下刈等の保育経費も漸減しやがて無くなるという記述である。

 

 私は国立林業試験場高萩試験地で、ヒノキの天然更新地の調査研究を行ったが、更新木に対する下刈、手入れを実施しないと更新木の樹形が曲がることを見出した。その他天然更新地で、スギ、ヒノキの更新木の樹形がよくない事実を国内各所で実際に何箇所も見ている。現に浦木林業の赤木試験林その他でも、天然更新木や植裁木の樹形は良くないものがあり、林道沿いなど光線がよく当たる所では良好な生長をしている。私は、造林・保育費を節約するよりは、樹形を良くする程度に上木を疎開又は枝打ちをした方が最善と考える。

 

 なお、試験林や作業道の位置図、作設の機械、経費収入等の数字を明示したことは、研究者や林業家に役立つものとして評価する。

 

 なすび伐りの資料についても同様のことが言える。

 

 この他の浦木清十郎会長、多屋平夫、松本芳和、尾中鋼治諸氏の寄稿は、何れも有益であり、矢倉甚兵衛氏の提案は、皆が協力して実現にこぎつけたいことを祈る。

3 複層林施業についての危惧と提言 農学博士 理事 早稲田 収

 はじめに

 

 近年複層林施業が施策として取り上げられ、積極的に推進されようとしているが、その進め方には問題点も少なくはなく今後の結果が危惧される。勿論、複層林施業、非皆伐施業を目指す方向は基本的に正しく、この方向以外に、林業の将来展望は開けないであろう。

 

 今日、日本の林業は正に危機に瀕しているが、この事態に至った原因の大きなものとして、戦後に進められた過去の拡大造林と短伐期政策が挙げられると思うので、まず、これについて述べてみたい。

 

 拡大造林と短伐期林業

 

 生産業としての林業の対象地となり得るのは、相応の地位と地利に恵まれた場所に限られる。山であれば何処でも生産業としての林業が営めるものではない。投入額をも下廻る産出額の場所にまで対象地を拡げれば、いたずらにマイナスを増大させるに過ぎない。このような場所に少なくとも積極的施業を進めてはならない。

 

 わが国の現状で、人工造林を行って良い面積は、全山林面積の二~三割程度ではなかろうか。勿論、この割合は諸条件により変動する。例えば労賃の高騰や材価の低下により減少し、路網が整備されれば増大するが、現状ではこの程度ではないかと言うことである。それに比べて、各地域の人工化率の目標は勿論のこと、現状でもすでに大に過ぎるのではなかろうか。不適地への造林例は随所に見られ、特に高海抜地、高緯度地域など低生産地に多い。例えば、北海道では樹種の関係もあって、造林可能地域は南部のスギ地帯に限定される。エゾマツ、トドマツでは造林経費の負担に堪え得ないからである。

 

 林業における経費の大部分は、森林造成に関わるものである。しかも、初期十数年の間の経費である。即ち、地拵えに始まり、植付(含苗木代)、下刈、つる切り、除伐である。その後、間伐、枝打ちの等の経費もあるが、間伐費はその都度の収入で経理することとし、枝打ちは生産材の質を高め、価値生産を高めるための任意の作業として除外すれば、必須の経費は前述のようになる。

 

 林業の支出を減少させるためには、不適地への造林地拡大を止めることは勿論のこと、適地でも造林の頻度を減少するか、出来ればしないことである。造林の必要は皆伐によって生ずる。ここに非皆伐施業への転換を奨める理由の一つがある。また、皆伐施業をとる場合でも、出来るだけ伐期を長くすることである。林業での投入額を森林造成の費用のみとするなら、伐期を二倍、三倍にすれば、大雑把には、年当たり経費が二分の一、三分の一となろう。なお、この際金利計算はしない。貨幣価値が当然変動するような長期にわたる金利計算の無意味さばかりでなく、通常の林業経費では、その継続性から造林費は前回の主伐収入から支出すべきものと考えるからである。

 

 このように、短伐期林業は経費、労力の多投林業であると同時に、低質材生産林業でもある。四〇年の材と百年の材は当然異質の商品であり、価格差も大きい。伐期の長短は量的生産はともかく、価値生産の差は大きい。短伐期林業は低価値生産林業なのである。

 

 わが国の林業は、伐期の短期化に伴う経費増大、収入の低減等により、収支のバランスを崩して、遂に、今日の厳しい状況を迎えるに至った。

 

 皆伐施業と法正林

 

 皆伐は既存の森林を無くすという意味で、最大の森林破壊行為に他ならない。林業は森林の存在を前提とする。森林が無ければ生産もその他の諸機能も無い。したがって、皆伐は最も林業に馴染まない行為としなければならないと考える。なお、皆伐を前提とする作業を進めるに当たり、森林の部分、部分は年々伐採されるとしても全体的にみれば恒存すると言う。しかし、部分といえども皆伐されない方がよいと共に、教科書的法正林施業が実現困難なものであることは、数十年来強調されながら、未だその実現した例を見ないことでも知られる。特にほぼ三〇年毎に相続の起こる民有林では、実現不能であろう。

 

 法正林を教科書的な形のみに限るのは当を得ない。法正林は「何時でも収穫出来、しかもそれが永続する林」と解するのが妥当であろう。それが林業経営にとって、極く当たり前の林だからである。

 

 択伐林は小規模所有でも実現可能な完全な法正林であるし、多層の複層施業も同様であり、皆伐施業であっても、充分に長い伐期をとり、繰り返す間伐収穫の累積を主収穫と考える施業で、複数の林分をもてばこれも一種の法正林施業であろう。

 

 重ねて言うが、林業では、その業の本質からして、逐次収穫すべきもので、一斉収穫する必然はない。林木は一定の成熟期をもたず或る時期以降長く成熟期であるし、一般に高齢になる程成熟の度合が高まり、材の品質も価値も高まる。したがって伐期という概念は、林業にとって本質的には不要なものである。強いて言えば、各個体について結果としてあるのであって、林分にはない。

 

 また、極く普通に言われる生産の長期性ということも、皆伐一斉林施業の属性であって林業本来のものではない。長期性を言うならば、森林(=経営の基盤)造成について言われるべきであろう。一応の森林の完成には四〇~五〇年の長期間を要し、それをまって、真の経営期が始まると考えられるからである。

 

 森林生産は森林を構成する個々の木が生長することで行われる。したがって、森林が生産の施設であり、増加分が果実である。森林を経営し、生産物としての部分を逐次収穫し続けるのが、真の林業の在り方ではないか。

 

 皆伐施業は土地を生産基盤と考え、そこに植えて、育てて、一斉収穫することを繰り返す。森林の造成過程が生産過程であり、森林を過去の生産物の集積、単なる物の集積と見るのである。このように、皆伐施業は本質的に農業と何ら変わらない性格のもので非林業的施業と言わなければならない。

 

 したがって、これからの林業は皆伐を止め、森林の造成に励むものではないか。即ち、皆伐施業から非皆伐施業へ、一斉林施業から複層林施業への転換である。これはより林業の本質に近づく道であり、したがって、今日の窮状からも脱する道であろう。

 

 複層林施業

 

 近年、複層林施業が国の施策としても取り上げられ、推進 されようとしていることは大変喜ばしいことである。世の中は日々進歩する。二○年近く前に、非皆伐施業、複層林施業の奨めを提唱し始めた頃には、異端視され問題にもされなかったことを考えると隔世の感がある。

 

 複層林施業を行う上で最も大切であり、且つ難しいのは発想の転換である。このことは従来慣れ親しんできたであろう皆伐施業の物の見方、考え方から脱脚することである。

 

 しかし、このことが意外に難しいという事実は、ここ十数年来いやという程痛感させられて来た。研究者はじめ、行政、普及に携わる人、施業の実施にあたる人々の多くが、皆伐施業の発想で複層林施業を見ており真の理解者は極く少ないのが現状であろう。

 

 複層林施業に対する真の理解を欠くまま施業が進められれば、似て非なる施業となり、利点より弊害の方が多くなることを恐れるのである。

 

 現状で広く推進されるべきは、長伐期施業への移行であろう。これならば、さしたる障害もない。越し難い程の発想の転換も当面必要がない。長伐期施業の段階を経て、複層林施業へ進むのが妥当であろう。皆伐施業も長い伐期をとれば、皆伐の弊害は極く小さくなり、森林造成期後の相当長い森林経営期を伴うことにより、一種の森林経営ともなるのである。

 

 複層林化への第一歩となる二段林の上層の扱いは、長伐期施業のものと何ら異なるところはない。長伐期施業へ移行し、下層に更新すれば直ちに二段林施業となる。長伐期施業によって正しい複層林施業の技術的基礎も養われることになる。

 

 重ねて強調するが、複層林施業の難しさは発想の全面的転換という一点にあり、技術的難しさはない。

 

 複層林施業の理解の一助となればと思い、両施業の考え方や、諸作業の違いの主なものを表示した。

 

 表を見てもわかるように、皆伐施業と複層林施業では、随所で対象的に異なる。

 

 複層林施業は既に在る森林を更新回転させること、即ち、伐・植を加えることにより、森林の恒常存置をはかる(=森林を経営する)施業であり、皆伐施業は土地の上に、森林の造成とその取り壊しを繰り返す営みである。

 

 収穫・更新は、皆伐林施業では、長周期で間断的に一斉に行われるが、複層林施業では、短周期で連続的に逐次行われる。

 

 皆伐施業では、造林の当初には生産の担い手は無い。植えた稚樹を早く担い手に育てることが必要で、一般に生長を促進することが目的にかなう一方、複層林では生産の担い手は上層であって常に在る。下層に更新した稚樹は、将来の森林の保続のために補充した材料に過ぎない。現在の生産の担い手に、最大の生産をさせることが第一義的に大切で、下層の生長は上層の取り扱いに伴う結果としてのみある。下層を育てることは目的ではなく、下層に対する配慮は枯死しないことだけで充分である。若し枯らせば植えたことの意味を失うからである。

 

 場所を特定すれば単位面積に与えられる光のエネルギーは一定である。上層が充分に活用すれば、下層への配分は当然少なくなり生長は遅くなる。複層林の下層はむしろ生長の遅いことが望ましい。この点は特に重要で、林内更新した稚樹の生長が気になる人には、複層林化は奨められない。下層の生長の良いことを望めば、必ず上層の伐採を進めて、一番大切な現在の森林の生産を減らすことになる。

 

 私が「更新稚樹が忘れられる人だけが林内更新をしてよい」と何時も言っているのはこのためである。また、複層林施業では「原則として下刈りを行わない」と言うのも同様の意味であり、刈らなければならぬ程に下草が繁茂するのは、上層の生産減の証拠だからである。

 

 林内更新は、一般には、空けて植えるのではなく、空いたから植え込むのである。森林の正当な扱いの結果、林床に稚樹が生存できるだけの光があれば、直ちに植え込むのである。上層が使い余した光の有効利用と空間利用のためである。

 

 したがって、林内更新をして複層林化を始める林齢は、必然的にかなり高くなり、高齢林程易しい。一般には少なくとも、いわゆる伐期を過ぎた林分と考えるのが妥当であろう。二〇年生や三〇年生の林では、通常その必然性がない。上層木が未成熟なまま伐られるという不合理と共に、林内の明るさの変化も早く技術的にも難しい。最も適当なのは六○~七〇年生であろう。

 

 従来の一斉林における本数密度管理は、一般に若齢林において疎に過ぎ、壮齢林以降密に過ぎる。この結果、芯が目荒で辺材で無用に密な、年齢幅の揃わない材を生産することになる。

 

 材の年齢構成は、材質に関係し材価に大きく影響する。密度管理は、主として、生産材の年輪構成を管理する技術としての観点から、再検討されなければならない。

 

 そもそも、林業技術は、量の生産よりは生産材の質に関わる技術としなければならない。林業の生産はその自然性の故に、量は自然要因に支配され人間の力は及ばない。生産材の質に関する技術こそが主体でなければならない。

 

 林内更新の植付本数についても、皆伐施業の場合とは異なる。一般にはるかに少なく、どの様な条件でもha当たり二千本を超えることは無い。しかも、厳密に何本でなければならぬこともなく、適宜とも言える。皆伐施業での植付は数十年に一回であることと、鬱閉が水平的にはかられるために、多くの本数を必要とするが、複層林では、植込みはしばしば行われるし、鬱開は垂直的であるから、少ない本数で足りる。複層林化が進めば、上層の伐採本数の三倍乃至二○倍を補えばよい。また、複層林では、林冠層の多少にかかわらず、各層のみをとれば各立木は孤立常態に保つ、ということも配慮すべきである。

 

 昨今の複層林施業に関する普及指導、その基礎となっている研究にも、見当外れと思われることが少なくはなく、実行を担う林業現場にも、複層林施業を正しく進める態勢はないように思われる。

 

 それはすべて皆伐施業の発想で、複層林を見ているためである。

 

 複層林の中でも最も単純な二段林施業が、最も技術的に容易と考えるのも間違いであり、林冠層が複雑なほど易しい。二段林の上層を一斉に伐採できると考えるのは幻想であり、非常に危険なことである。また、短期二段林などというのは、完全に皆伐施業の系列に属する施業であろう。

 

 研究についても、林内照度やそれに伴う稚樹の生長、耐陰性等に関わる課題から脱して、目を上層の扱いに転じなければならない。しかも、量よりは生産材の質に関わる研究に重点を移すべきで、また、複層林施業では生長量の予測といったことも無用となる。

 

 おわりに

 

 以上述べて来たように、現状は広く複層林施業を進めて良い段階にはないように思われる。当面は多間伐長伐期施業への移行を促し、それを経て複層林施業へ進むことが妥当ではなかろうか。

 

 勿論、すでに良く理解している経営者は、直ちに複層林化を進めるべきであり、それが大変結構なことであるのは言うまでもない。今後、そのような経営者がより早くふえることを切望している。

 

 (元森林総合研究所東北支所長)

6 林業経営と路網 大阪府指導林家 大橋 慶三郎

 (はじめに)

 

 四十八年前に山に入った私は林学や経営、地質学、土木工学の知識がないので、人間や自然から多くのことを学んだ。自然の営みは、私たちの好き嫌いに関係なく絶対だからお手本にしてきた。これからも変わることはない。今までに私が体で覚えたことを申し上げる。私の考えが誤っていれば、よろしくご指導願いたい。

 

 (道ができると全てが変わる)

 

 道がなければ社会生活もできない。もちろん林業経営も同じ。道は必要な筋道であり、「道を踏み外す」という言葉もある。

 

 道ができると、知らず知らずのうちに森林(環境も含めて)も、人の心も、したがって経営も、全てのものが変わってゆく。調和の採れた道はプラス、アンバランスな道はマイナスに変わってゆくのは言うまでもない。

 

 イ)樹木の生育環境が変わる

 

 バランスの採れた道(支線)は降雨を有効に林地に供給し、特に道下の生育環境が良くなり、乾燥した痩せ山には大きい効果があった。これも道の働きの一つであろう。

 

 ロ)作業環境が変わる

 

 平坦地で仕事をするのに比べて急傾斜の斜面で仕事をするのは辛いばかりでなく危険も多い。路網密度が高いと急斜面でも平坦地と同じように仕事のし易い作業環境に変わる。

 

 ハ)経営が変わる

 

 林業の収穫は最終時点での主伐だけではない。中間の間伐、択伐が立木本数にすれば大多数なのである。もし、この中間収穫が十分に得られなければ林業を続けることは大変困難である。最終の主伐での収穫よりも中間収穫のほうにうまみがあるから林業活動ができる。これを支えているのが路網で、皆伐せずに中間収穫を得ながら高樹齢大径木施業に変えるのも道の働きであろう。

 

 ニ)其の他の働き

 

 道があれば仕事現場へ行くのが苦にならない。これは労働年齢を引き伸ばす。また、道が無ければ過疎と老齢化した山村では消火の基本である初期消火は困難で、大規模な山火事に拡大し、かけがえのない貴重な自然環境を破壊することになる。

 

 以上のように路網の効用は、多種多様である。コストの低減だけでなく、むしろ搬出のコストダウンよりも他の効用のほうが甚だ多いと思っている。

 

 (経営や路網の考え方)

 

 私達の身体には、いろんな部位に多くの器官、内臓があり、それらが調和を保って働いているから健康で活動することができる。システムとはこのようなことと思っている。

 

 健全な経営も同じで、経営に関わるいろいろなもののバランスが採れ、それらが統一されていることであろう。路網についても同じで、経営山林の面積、地利、地形、地質などの地況や立木の樹種、樹齢、疎密度、蓄積、施業の順位などの林況、人、懐具合(資金の都合)など。その家 の実情、つまり、お家の都合など林業経営に関わるいろいろな条件のバランスを考えなければならない。このことから経営も路網も一定の形がないから、一つの考え方に囚われてはいけないと思っている。

 

 私が路網のことを述べるのは、公共林道などの公道から分岐して経営山林内に開設する道幅(有効幅員)が二・〇~二・五m、従って切取り法高の低い路網のことであって、公共林道のような立派な道のことは知らない。誤解があればいけないので念のため。

 

 (道の配置)

 

 草木の葉の葉脈の配置や太さは、葉の形、大きさ、厚さなどによって、それぞれ異なる。葉脈は葉の支持を丈夫にしたり養分や水分の通路である。これはそのまま山の路網の配置状態と同じである。その状態を観察すれば、葉の中央の中心脈は太く、分岐した平行脈はやや細く、さらにそこから分岐した細い網状脈が見られる。つまり幹線、支線、支線から分岐したヒゲ道ということになる。

 

 (路網計画)

 

 計画にあたっては、まず一番先に幹線を計画することで、支線もヒゲ道も一度に計画すると複雑になり誤ることが多い。支線は幹線ができてから、ヒゲみちは支線ができてからゆっくりと必要に応じて計画する。

 

 幹線は人体に例えると背骨に相当する。人間も肋骨が折れても生命に別状ないが、背骨を損なうと一巻の終わりになるように、路網も幹線が損なわれると路網は麻痺するので安定した地質で、水の集まらない尾根部分を主に計画する。つまり定積土の部分を主に計画する。路面勾配が、どうしても急になるが部分的に三十%までならコンクリート舗装をすれば四輪駆動の車なら走行に支障がないことが実証されている。

 

 有効幅員は二トンダンプの走行を考えれば二・〇~二・五mで十分である。カーブなどは曲率半径から必要に応じて拡幅することは言うまでもない。

 

 支線は幹線から分岐し、ほぼ等高線に沿って、岩石地などの安定した地質意外は切取り法高が一四m未満、有効幅員は二・Omでよいと思う。支線は中腹に開設するが、中腹に幅の広い道を高密に開設することは出来ないからである(等高線沿いに中腹に開設するので地質の不安定なと ころも通らなければならない)。

 

 ヒゲ道は支線から希望する場所への突っ込み道だから規模は支線と同じ。路網計画で誤る原因の多くは希望する場所へ幹線を希望することによることが多い。心が何かに捉われると、そのために誤ることが多いのは路網計画に限らない。

 

  (計画に当たっての留意点)

 

 路網計画を立てるに当たって、最も留意すべきは、始点から終点まで の地形、地質を無視して路面勾配、曲率半径、道幅を重視して開設した道は台風などの豪雨による災害が、いつまでも続き、復旧費の増大や大規模な林地崩壊を誘引することになるだけでなく、高い法高、広い道幅は往々にして風害と干害によって道上の林内環境を破壊し、遂には経営を行き詰まらせる。(了)

 

 (大橋式作業道実践指導者)

8 熊野なすび伐り考 林業経営者 尾中 鋼治

 なすび伐りの起源は百五十年以前からといわれていますが、別名なすびすぐりとも言い、紀州一帯は、多雨と温暖な気候に恵まれ、著しく樹木の生長が早い地域が多く、大きくなった茄子から順次収穫し、小さい茄子を大きく育てることになぞらえた呼び名で、昔から疎植うえ(三、 ○○○本以下)で早く太らせて早く伐期を迎えるやり方で、四・五十年経って胸高直径三十cm以上になれば立皮剥ぎといって立木のまま屋根覆用として、杉、檜の皮を剥ぎ取りハエ積みにして置き、裸の立木はどんどん伐られていった、このことは建築壁工法に板材が使われ需要が多かったことによるものと思います。三十cm以下は残存木として残し、疎開したところへ三年生以上の大苗を植えた。この残存木が今度伐られる時は二代木という。しかし小規模林家にとっては四・五十年も長過ぎる、そこで五年十年周期に胸高三十cm以上を抜き伐り(すぐり)を二回、三回繰り返すことによってなすび伐りの林層が自然に形成されていったものと私は考えたい。そうしたなすび伐り林地で家を建てるために必要な本数を伐ったとか、娘の嫁入り資金づくりや大学資金づくりの収入源となり、家計生活に密着した、いわば知恵の林業であって同時に今日的涵養保全の意義も持ち合わせた新しい林業でもあるともいえます。そこで熊野林業事務所版による五郷町のある人の記録資料を掲載させて頂きます。この資料を見る限り当時はいかに材木が良かったか山持ちの時代だったかがうかがえます。

 

 一、なすび伐りの利点

 

 なすび伐り(なすびすぐり)は昭和四十年頃迄五郷町で十数名程度の小規模林家が先に述べた方法で又、それぞれのお家流れでやられて来た、地域差はあるものの紀州一帯と吉野、河内地方でもなすび伐りの呼び名が残っていることを耳にしています。保育については上層木の収穫によって下層木が自然に生長してくれるし、三段層位の林分になっておれば下刈、枝打ちは殆ど不必要で、時折つる切り等観察し乍ら手入れをすれば良い、又、上層択伐木は優良なすび伐り材としての収益が得られる(この理由は下層木は植裁後十年~十五年は年輪が密で育ったため芯づまりの基盤が出来、自然落枝して無節優良材の素因となる)これまでの資料には上層木なすび伐り跡地に三~六本の大苗を植えるとなっているが、下層木の混み具合等でかならずしも植えることはなく、二~三年は先に延ばすこともある。それは皆伐跡地と違って林内であるため何時でも植裁出来る環境にあるためと、既になすび伐りの林層が出来上がっているので、急ぐ必要もないからである。そういうことで造林費を余り要せず収穫も五~10年を周期に継続して得られ、しかも林分蓄積を維持出来ることに利点が集約されてくると思います。

 

 二、作業路開設と搬出機械の導入

 

 しかし乍ら昭和三十六年頃より輸入材の拡大により次第に国産材は低落方向に向かい、五〇年代に入って並材(中目材)は安くなる一方の中で優良材と目される素材だけは値が高く市売されることを見て高樹齢大径木の残っている山で、父の行っていた林地を中心に皆伐を避けてなすび伐りの見直しを思いつき、地域の諸先輩の方達の施業を勉強させて頂きました。今までの伐出方法は伐倒木はかならず枝打ちして倒し、山落しで直接道路まで近くなら出材したが、そういう場所は少なく、山落し集材より架線搬出か木馬による搬出方法も取られて来たが、私は機械化を試みることを考え、伐倒については林内作業で残存木及び下層木を痛めないようチルホールを使って巻き取り、あまり枝を打たずに受け口の方向へ倒すことに成功し、次に搬出についてはヤンマーキャタトラを導入、そして旧木馬道の拡幅のためにバックホー(出力一トン)導入、その後キャタトラに手動式クレーンを鉄工所で装着してもらって漸く大径木でもウインチで引き寄せてクレーン積み込みが出来るようになり、見学者も訪ねてくるようになって、機械化の効果も現れて来ましたが、林道起点より延長が一○○○メートル以上に延びた作業路では往復の走行時間もかかるので林内作業車リョウシン号(油圧式クレーン搭載六輪駆動二トン積み)を導入、一段と能率アップとなった。同時に路幅の拡幅一・八mにはバックホーのフル稼働があった。路肩には古電柱をいれたり又土橋桁には松、杉等の低資材を組み合わせ、(ワイヤーこよりで縛る) 路面は土は乗せる方法でこれが本当の土木でもあります。耐久力は五年は大丈夫で、又安くで掛け替え出来る。尚急勾配部分にはコンクリート舗装を行い、天候の不良な時でも作業車の走行が出来るようにした。そうした路網の整備によりha当たり三○○以上となり、なすび伐り林内観察の機会も増やして、不良木の伐倒や混み具合等林層の管理育成も便利になり、しかも生態系の維持による環境保全に資することなどいわゆる新なすび伐りとなるゆえんです。

 

 台風災害と今後の方向

 

 昭和五十九年三月、当時諸戸林業の副社長の席で勤められていた牛山式間伐で知られる牛山六郎先生を招きなすび伐り林地見学研修と講演を五郷町で行なって頂いた。以来折りにふれて山を見てもらい、その都度一泊して頂いて成長量と伐採量の調整又、群状択伐の進め方など御指導頂いたが、その矢先平成二年の十九号台風災害で檜の大径木の地域を約一ha(四○○立米)無残になぎ倒された。それまで優良木だけを残して調整してきた山が水泡に帰した感じで、始めに見に行った時は腰が抜けてその場に座り込んでしまいました。やっと気を取り直し被害木のへリ出材も考えましたが、長男茂樹と相談の結果、作業路を修復してリョウシン号で出材する事に決めて、一年間余りをかけて搬出したが、被害木の伐倒については危険もともない、先に張根を切って置く等の工夫と努力で跳や、裂けの事故もなく無事に終了することが出来ましたことは幸いだったと思います。

 

 材価につきましては損害評価の四〇%位の収益にはなったと思いますが、他の人の三〇年生位の山では殆ど収益にならなかった。それに比べれば大径木の強みはあったものと思います。この十九号台風は紀伊半島北部を駆け足で縦断し、竜巻状であったとか、海辺では浜石が吹き飛んで来てサッシガラスを皆割って行ったと聞いております。明くる年は同じような台風が北九州から瀬戸内海、能登半島秋田へかけて吹き抜け、日本列島に大被害をもたらした。特に日田林業では被害木の整理に自衛隊まで出動したという。この事は自然のなせることでなんとも防ぎようはなく、復層林はある程度災害にも耐えられるとされてきたが、竜巻状ではどんな林層でも持ちこたえられないことを証明した。しかし全面やられる訳はなく風の通った道に被害が集中する。だからやられる所もあれば助かる所もある。又長い年月にはどういう災害もあることを覚えさせられたと思います。

 

 そこで二、三十年生林分では間伐を促進して丈夫な林分に早くして行く事、作業路を入れて間伐材は金にする。そうした間伐収益の得られる山をどんどん増やしていき、今後のなすび伐りを含む林業経営の方向として考えて行きたいと思っております。

 

 (なすび伐り林業実践者)

9 熊野林業の経緯と天然型林業への道 熊野林業研究所 会長 浦木 清十郎

[一]熊野林業の歴史と姿

 熊野地方における森林を天然林と人工林に大別すると、まず天然林の主体は照葉樹林であり、例えばシイ、カシ、クス、イス等の常緑大径木、ツバキやシャラ等の中径木を中心として、それらの中に、アカマツ、クロマツ、モミ、ツガ、マキ、杉、桧、サワラ、カヤ、トガサワラ等の針葉樹が混じる天然林を形づくっている。そしてそれらの大半が、過去において大なり小なり大径木は建築用材や家具材として、小径木は木工品や薪炭材やパルプ材等として伐採されて来て、その伐採された跡地に杉、 檜、松等を植栽して人工林をつくってきたのが大部分であり、杉、檜、松の人工林は戦後数十年の間に植えられたものが大半を占め、百年以上たった人工林は極めて少なくなっているのが現状である。

 

 いずれにしても天然林の他は皆伐採跡地に一斉に植栽され、何回かの間伐を経て四十~五十年を伐期(主伐期)として育てられた杉、桧の植林地が熊野林業の主要施業となっている。しかしながら、これらの皆伐一斉造林の林業が必ずしも熊野林業の本来の姿ではなく、又これが期待される理想の林業でもない。現にこれらの林業も経営が困難になり、立木価格より諸費用(伐木造林及び運搬費等とその他の造林費)が上回り、おおむね赤字経営になっているのが現状である。しからば材木の価格がよほど高騰しないと林業経営は成りたたないのであろうか。

 

 前記皆伐一斉造林の方式は明治以降盛んになり、特に戦争をはさみ、物資不足の折、皆伐が盛んになり、とりわけ太平洋戦争後の物不足の時期には他の産業に見習って大量生産大量伐採が盛んに奨励され、広大な山林が皆伐されては杉桧の植栽と単層林を作って来た。林業は永い時代に亘るものであり、熊野地方の林業も数百年を越す歴史をもって続けられてきた中で、皆伐一斉造林は僅かここ百年位のものでしかなく、更に顕著になったのは太平洋戦争の始まる頃から、昭和四十年頃までの二○~三〇年間に特に盛んになったものである。即ち長い林業の歴史の 中で、現在の方法(皆伐一斉造林方式)が延々を続けられて来たものではないし、むろん最も発展した理想の林業経営でもないのである。それは林業の本来の姿からは遠く離れた、一般の工業生産における大量生産企画商品の生産様式にならった方法であり、本来天然自然の恵みの中で育てられる林業がなじめる方法では到底ないのである。

 

 古来行なわれて来た林業は、天然林の中で天然林を損なうことなく保続的に収穫を得る林業が行なわれてきたものであり、それこそが本来望まれる林業経営の姿である。熊野の林業は今僅かに残っている「なすび伐り」に見られる様な天然林型の経営こそが、古来より受け継がれて来た理想に近い林業経営といわねばならない。

 

  この熊野に残された「なすび伐り」とは非皆伐、択伐方式の林業で、択伐方法は高齢木の中で、成熟木を少しづつ抜き伐ってゆき(別名「てっぺんすぐり」と呼ばれている)、その択伐後の跡地の疎開されたところへ植林してゆき、次第に複層林が形成されて永続的に択伐が可能になる方式である。

 

 ところでこれらのなすび伐りもその発生に遡ると、熊野地方に「木地師 (※)」が入って「木地師」による木工品の原材料としての林木が継続的に得られる様に必要な木だけ抜き伐り、残された木や林により自然形態が失われることがないやり方で行なわれてきた。つまり熟した果実を収穫するごとく、抜き伐りする事に始まりましたのがそれら天然林施業の林業の始まりである。そしてそれらの林業が継続され発展して良材を育てると共に、木や森林が残され、紀州熊野には針葉樹では建築材の材料となる大径木が残されており、又広葉樹に於いても大は建築の柱や貫、のじ板、かまち等の高級建築材から家具の材料となる樹木、小は竿や木工品、良質の炭が生産できる樹木など多種多様な樹木により豊かな森林が継承されてきたのである。

 

 これら「木地師」による山林施業が、「なすび伐り」の形態で受け継がれてきたもの、又ウバメガシ等の天然更新や、薪炭林として残されておるものである。 これらは大量生産、大量伐採、とはまったく逆の方法ではあるが、赤字経営体質にはならないし、この林業が本来の林業であり、この林業の原点に帰るべきと考えるのである。

 

 この様にして天然林が残り、継続的に収穫を得ると共に、森林とその生態が天然自然形で残り、維持されるならば、天然自然の恵みを最大限に受容しその蓄積価値が増えてくる。そして、人類に最も大切な水源涵養や水の浄化、あるいは空気の浄化又国土の保全と環境の維持にとって極めて有効に維持され、森林と林業生産が理想的な形で継続されるのである。

 

 [二]天然型複層林の施業方法

  (一)従来の方式(皆伐方式)

 日本の山は、地形や環境等が複雑で一定していない。ところが従来(特に終戦後)は、これらの山地に同一樹種、同一樹令のいわゆる単層にしたてる方法が主流をなしてきた。

 

 そこでは樹木を出来るだけ揃え(樹種、樹令、大きさ)ようとし、その単一化された林分に対して、一定年齢例えば五十年とか六十年に決めて伐採(皆伐)しようとする。これを主伐と称し、この主伐期までに複次的に行なわれる伐採は全て除伐・間伐として取り扱う。したがって、同一林分では何十年に一回しか主たる収穫(収入)がないと言う事になる。

 

 これは明治時代より欧米の経済思想が取り入れられ、日本の経済が急速に発展し、企画大量生産の時代にはいったことと並行して林業がドイツ林学の影響を受けて、十九世紀初頭にドイツで提唱された法正林理論 (※) にも影響を受けたものと思われる。この理論の森林を宣久的に保続して行こうと言う考え方では、わが国の天然林作業と同じ目的をもつが、人や社会が要求する樹種や樹齢又施業方法を揃え、次第に人為的或いは人工的になって行く傾向を持つ。例えば、主伐期を五十年と定めて皆伐するとしても、五十林分を持っておれば、毎年伐採(皆伐)していっても、順次、次の林分が成長していくわけであるから、五十年のサイクルの中で、毎年安定した収穫があり、かつ森林全体も永続されると言う合理性を計る考え方である。森林を宣久的に保続するという基本部分では共感するが、理想を追い合理化を計る余り画一的に考える傾向が強く、実際に適応して行く段階で、森林が天然の生態から離れた、単一化に近づき主伐や伐期令の概念を入れた皆伐方式に移行していったことが問題と言わざるを得ない。しかも極めて人為的農業的な考え方であり、かつ部分に注力し過ぎると森林全体を忘れ勝になる傾向があり、収穫についていかに効果的にかつ大量に収穫するかに力点が置かれてくると、単一化が行なわれ森林全体のバランスや自然環境、生態系とは全く離れてしまう事になる。しかもこの方式で行けば、林地の疲弊と共に樹木が低質になり、ひいては森林がなくなって行く事になりかねない。そして最も大きな問題点は、伐期令や輪伐期が人為的に決められる為に皆伐によって高令木が皆無になり、前述の林地が疲弊化することにより、森林にとって最も大切な森林生態基盤が次第に失われて行く事にある。


  (二)非皆伐・抜き伐りの方式


 以上のことを反省にして、次に森林の基盤を壊さずに果実(※)を得る方法、すなわち自然環境と収入の両方を満たす方式(非皆伐・抜き伐り)について、具体的に順次説明する。


 森林として収穫しても良い範囲、即ち森林の果実。


 ①量の問題


 (イ)数年~十年位まででその成長量の範囲内にとどめる。


 (ロ)鬱閉過多になった場合は収穫対象とするが、陽光が入り過ぎない様に注意する。


 (ハ)下草が生え過ぎる様な疎開は出来るだけ避けるが、やむを得ず疎開過多になった時は補植する。


 ②質の問題


 基本的に森林全体を見て、バランスを考えながら抜き伐り対象の木を決める。


 (イ)伐採時に経済的価値が高いものを伐る。周囲の木の成長妨げる程の大木と言う事になるが、それは大抵の場合、高い材質的価値を伴うものが多い。


 (ロ)傷木、曲がり木等の劣勢木については、将来的に経済的成長を見込めないものは伐採するが、将来何等かの経済的価値が期待出来そうなものは出来るだけ残す。


 (ハ)被圧木につては、基本的には残す事になるが、全体のバランスを見て、著しく鬱開している様な時は伐採する事もある。


 ③具体的な伐採(下層木を含む)


 以上の様な観点から伐採すべきものを森林の果実として考える事になる。


 具体的には、大きくて、材質の良い木が伐採収穫される事が多いと言う結果になるが、必ずしもそうでない場合も出て来る。つまり、森林全体では樹種も色々なものが混在するし、もちろん大きさ・形質等も様々であり、種々な形が考えられる。例えば、未だ若い人工林の林分においては、海布丸太、みがき丸太、柱材等収穫対象となり得る。また、天然広葉樹林においては、有用樹種が沢山あるので、例えば、ツバキ、リョウブ、ウバメガシ、サカキ、シキミ、クロモジ等々、伐採収穫される木は多い。もちろん天然林においても非皆伐の基本は守るべきである。


 人工林、とりわけ単層単純林も前記の様な抜き伐りの過程を経て、長年の間に次第に自然生態の天然林層に近づいて行く。そして理想の天然林に近い複層林に限りなく近づいて行くのである。


  (三)まとめ


 従来の皆伐を前提とした、規格大量生産方式では、樹種は杉と桧(但し亜寒帯ではカラマツやエゾ松等を主とする)に絞って、一斉伐採、一斉植林により、規格化された林分を形成していった。


 この様な森林は、一見すると美しく揃っている為に、美林として見られがちであるが、本来の自然の姿とは遠くかけはなれた姿である。 反対に、非皆伐・抜き伐り方式の林分は極めて不揃いで、多種多様な樹木の集合体ながら、その姿は限りなく天然林(自然林)に近いものといえる。


 人間は自然から大きな恵みを受けて生きているのであるから、この自然の形を壊す様なやり方は良いはずがない。


 自然のバランスを壊さずに、しかも、高い収穫を考える方法は、この非皆伐・抜き伐りの方式以外には考えられないと確信する。


  ※木地師......木地師とは、椀、盆、こま、こけしなどの木工品をつくっていた職人のことで、その材料としての原木(良質のトチ、ブナ、ケヤキ、サクラ等)を求めて、家族又は数戸のグループで深山に入り、必要な原木をぬき伐りしながら木工品をつくって生活していた。その歴史をたどれば、平安 時代、惟喬親王が現在の滋賀県神崎郡小椋谷に隠棲される間に、親王から技術を教えられたのが始まりとされ、 その後のその技法をえとくした職人達が用材を求めて他の地方に出てゆくことになり、やがて全国の山々に広まって行った。江戸時代には、農工商の上にあるとの誇りをもった集団であったが、一般の村人とは交わることなく、独立した集団として深山で生活をしていた。これら木地師の人達が紀州熊野にも広がってきたものである。


 ※法正林理論......この理論は、法正令級、法正配置、法正蓄積、法正成長量といった内容を伴った、いわゆる法正状態を備えた森林のことで、目的を決め伐期令や輪伐期を合理的に算出し天然生態条件よりも人為的計画に重点を置き、毎年一定の等しい材積収穫を得られることを目標にした理論である。しかるに実際の森林(特に日本の森林)では、地形、気象、生態など実にさまざまな要因が複雑に関わっているので、この様な画一的かつ観念的理論は実現性が極めて乏しいといわざるを得ない。この理論は、十九世紀初めにドイツで提唱され、その後日本にも導入されたが、ドイツの平地林と日本の急峻な地形の山岳林では当然森林の取り扱い (施業)が異なるはずである。しかしそれをとりわけ国有林において積極的に取り入れてきたものであるが、日本の伝統的林業を継承してきた民有林においては、この理論には必ずしも添い得なかったという経緯がある。


 ※果実......ここで言う果実というのは、森林全体の中で利用に供せられるべき林産物で、森林の生態を壊すことなく利用可能な林産物をさす。すなわち森林のトータルな成長量の範囲内で、過密林分状態の森林を対象にして、その一部を伐採しても森林の生態系が損なわれない程度の伐採可能な範囲の林産物であり、かつそれが利用可能なものを果実とみなすものである。従って単木で成熟したかどうかを考えるものでもなく、又単木の年令や大小を考えることでもない。又小さな潅木や単木では成長途上のものでも、利用可能な林産物である以上は、森林の生態系 を壊さない範囲内で過密や鬱閉が過度で伐採すべきものは果実とみなす。但し、あばれ木や周囲に害をおよぼす様なものは、除伐として伐採されるものもあるが、これらはここで言う果実には入らない。

 

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